ああ、終わらないでほしい。
いつまでもこの時間が、続けばと。
しかしいじらしいもので。
終わりを予感してるから今が楽しいんだ。
そう感じさせられずにはいられない。
ああ、終わらないでほしい。
いつまでもこの時間が、続けばと。
しかしいじらしいもので。
終わりを予感してるから今が楽しいんだ。
そう感じさせられずにはいられない。
食べるということはつまり死をもたらすことで
それを一日三回
いただきますとごちそうさま
死を身近に感じてこその、生だと
忘れてはいけない、生
兄弟キョウダイ
姉妹シマイ
それなら3人は?4人は?
兄と妹、姉と弟は?
誰も教えてはくれないワケカタの話
光るプラスチックの石
ラジオの再生ボタン
U型の磁石
雑誌の付録の何か
あれが欲しい
これが欲しい
小さい頃の記憶
純粋な欲
大切にしたい心
その人間の本能とも言えるべきものは
いつからいいように利用されてしまったのだろう
映画やドラマを観ていると主役と脇役は同じ顔が出ている。二枚目はあれで、三枚目はこれで。美人はそれだ。皆飽きもせず観ていて、むしろその顔や背中を求めている。名前や立場が違くても、だ。視覚的な物語に出てくる人間性というのは、ごく限られた人間でことが足りてしまうのだろうか。文字を並べ、不定形で朧げな自分の影を浮かべたり沈めたりする。これだけで満足するのはいまや少数派なのかもしれない。
椅子があるということは、そこがどんなに荒廃していようと、神秘的だろうと、屋内や屋外だろうと、海の底に沈んでようと、木星の表面を漂っていようと、二足歩行を始めたおかげで腰と頭を痛めやすくなった生き物がいるのだろう
この水が
この滴る雪解け水こそが
閉ざされたましろな世界を開く
生命の奔流となるのだ
覗く青空 伸びる若芽
陰鬱さにかしらをもたげていた心さえも
今日ばかりは陽の目を浴びることができる
とつとつと奏でる音よ
わたしたちはいま 春を迎えようとしている
爺さんたちの討論
サラリーマンのデスクワーク
おっちゃんのタバコタイム
黒ネクタイに首を吊られ
すする苦い珈琲
歯医者のようなオルゴールBGM
模様の上に模様がかぶさる
遠い記憶への引力
そうだ
あの人には十二銭用意してあげよう
何かと入り用だから、ね
全てが挑戦で
全てが新鮮で
ローマ字を覚えてたどたどしく文を送るのもそうだし
自分より身長が倍の人がひしめく店に入るのもそうだし
鼻をつく匂いにおそるおそる口に運ぶのもそうだし
レンタルショップでCDを借りてパソコンに転送するのもそうだし
iphoneはないからPSPで学校帰りに音楽を聴くのもそうだし
人によって携帯の着メロや光る色を変えるのもそうだし
全てが体験で
だけどもう再現で
おっと、少しばかり記憶を掘り起こしすぎたようだ
過去にとらわれているあいだの横顔はどこかもの悲しいから
死について考えるとき
そこに意味を求めてしまう理性は
野垂れ死ぬことを恐れ
いままでの自分の生には
これからの自分の生には
大義があるのだと思い込みたいのだが
死とは結局のところ
つむじ風のように現れ
凪いで
終にはあの人を連れ去ってしまうのだ