古本も少しずつ入荷し、そしてちらほらと旅立っていきます。新譜も新刊も人の手に渡っていくのは、それが善いものであるのをわかっているので、無論悦びと感謝が絶えません。それにも増して、古本はこれまた嬉しく、背筋が伸びる思いがします。
というのも、音楽は今の時代、古い曲も簡単に瞬時にアクセスできる時代です。ネットを通じて耳で聴く。5分もかけずに体感できてしまいます。今なら月々定額で堂々と。さらにAIがコード進行、リズム、キー、ジャンルで腑分けした音楽を提供してくるのを、ひたすら聴いていく。
では、本は?知識は?AIに聞いてもネットにない情報は答えようがないです。名著としての評価を一定数得ていればご丁寧に解説やまとめがネットに載せられていたり、古今東西の本をスキャンし、ネットにアーカイブしている団体もあるけれど、人に解説されるような本には限りがあるし、アーカイブも著作権の壁で気軽に見れるものではない。
簡単にアクセスできない領域が現実世界の古本にはある。それが人の手に、そして次の人の手に渡っていき、そこでしか得られない知識と、道標と、力を増していくのがえもいわれぬ充足感になるのです。それはもちろん、新しく産声をあげた新刊たちも同じです。極論、いつかは全て古本になりますから。
何が言いたいかと言うと、本は制限があるとより輝きを増すな、と。音楽もまた、そのような輝き方があれば、できたら、いや既にあるのか、と。思わずにはいられない日々なのです。
