硬いのか柔らかいのかよくわからない棒を無心に振るう人間。ぬめりとした質感の服に身を包み、手は過保護なまでに膨れ上がり、顔には飛散する有象無象から守るためにフェイスガードが張られている。打ちのめした破片で細かく傷ついた向こう側はよく見えないが、喜怒哀楽、どんな表情をしていても、その恐ろしさに変わりはない。人が怒りを発散させる場。私生活で色々とあったが怒りを発散させることで蝶が舞うような気分になると利用者は言う。実際、器物損壊など犯罪が多い街のために設置された空間。人の欲に応じたビジネス化は古来から存在するが、犯罪を犯させないために犯罪を合法的な領域に引っ張り出し、創造に昇華させずにただ置換するやり方はあまりにも短絡的ではないか。と、煙草や酒をちびちびと口元に運んでそう、テレビの前でうそぶく。
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「人っていつ死ぬかわからないから怠惰なんだ」白いコーヒーカップをかちゃりと白いソーサーに戻す音。硬い言葉にハッとして視線を窓の外から机の向こう側へ戻す。遠くに見える子どもの動線を目で追っていたので、完全に上の空だった。そんな私を特に責めるような視線は送らずに、彼は白く縁取られた黒い液体を注視していた。その奥に、探しているものがあるかのように。
「人がいつ死ぬかを決められるのは今のところ自殺と、安楽死ぐらいね」怠惰の方はひとまずふれずに、適当に話を受け止めるが、否定も肯定もしたくないので付け加える。「まあ、わたしたちの住むこの国ではどちらも違法だけど」さも興味なさそうに窓の外へと顔をまた向ける。子どもは親の周りをくるくると回っている。時折、笑い声がここまでこだます。
「自分の命ぐらい、自分が所有しているんだからどうしたっていいじゃないか。・・・他の人のはともかく」彼は、まだ正気なのだ。「人が作った法が人の自由を縛るなんて、所有するのが自由なら破棄するのも自由であっていいはずだ」正気だからこそ、屁理屈をこねてなんとか抗って見せているのだ。わたしは左手を伸ばして、彼のコーヒーカップを静かに持ち上げ、自分の口元へ持っていく。彼の目線の先は黒い鏡から、白くつるりとしたソーサーに描かれた「喫茶ゔぃーた」のロゴが入っていることだろう。
「昔は宗教がその法の代わりだったらしいけどね」そう返して、一口啜る。ここの喫茶店のコーヒーは、黒く、熱く、苦く、まるで地獄のようだ。「友達はそのおかげで死ねなかった」「そう、それならよかったじゃない」銀色の小ぶりなカップを右手でつまみ、コーヒーの中にさっと入れる。ふわりと黒と白が歪に混ざり合い、せめぎ合い、地獄は少しマイルドになる。コーヒーカップを彼が凝視しているソーサーの上にかちゃりと返す。飲んだ時についた色が、白い丸い縁の対角線に並ぶ。
「宗教も法も人が作った。人が人のために作った。その上で、人生を全うしているのはきっと、いいことよ」屁理屈には屁理屈で返してやる。ここで答えを与えてやる必要はない、その方がきっと彼のためだ。「それじゃ、ここはわたしがもっといてあげるから。先に行くわ」透明な円筒に入っていた紙切れをとり、席を立つ。窓の外をチラリと横目で見ると、すでに親子の姿はいなくなっていた。
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すれ違い様に声をかけられる。時の流れは足跡荒く、昔は美男だったであろうその老人は、酒で赤くなり、シワやできもので凸凹とした顔をしていた。そこに、うすら笑みを浮かべている。あんた、◻︎⚪︎(貴方の仕事上の立場をここに当てはまるとよい)かい?ええ、そうですが、何かお困りごとでしたか?ないけど…そうかそうか。
ざらついた空気を残される。老人のうすら笑みは鋭角を増し、その様相と返答に思わず眉をひそめてしまう。
それでは、いかがしましたか?いやね、まさかこんなところに◻︎⚪︎がいるなんて、あんた、もっといい場所なかったの?老人は立て続けに言う。若いのに。
お客様、失礼ですね。
海馬体がおぼろげな楽しい記憶を貫いて、けたたましい音のする、苦く、鮮明な、泡立つ記憶を引っ張り出す。全身の逆立った毛穴から、黒い気がふすふすと渦巻いて溢れる。この手合いは話を続けてもムダだ。愛想笑いをする時期はもうとうに過ぎ去った。早々に離れる。
それが一周目の話。期待なぞしていなかった二周目がやって来ると、老人は馴れ馴れしく肩をポンと叩き、こう言った。悪気はなかった、勘違いしないでくれろ。な?
こちらの顔をわざわざ覗き込む様がささくれ立つ感情を逆撫でしていく。
お客様、失礼します。
決別の言葉だけを残していく。ザマアミロ。身から出た黒い気はあたりを漂っていたが、やがて霧散していこうとする。次第に、自分が確かに、なぜこんなところにいるのだろうとハッとする。どこか別のばしょに。その答えを自分は知っている。そしてあの老人も知っていた。たった、それだけのこと。時の流れは足跡荒く、しかし足跡はこれからも続いていく。
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気がつけば今年も一年が過ぎ去っていた
どんな年だった?
パスタは塩をしっかり入れて、ぐらぐらと沸かしたお湯で茹でると美味しくなることに、ようやっと気づいた
そんな年でした
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百聞は一見にしかず
この言葉を覚えたての自分は、百聞を百文と勘違いしていた。どちらにせよ百回聞くのも百回読むのも、一見にはしかず。確かに経験則的にこの諺が浮かんできた当時は一見すれば誰でも百文を感じ取れたのだろう。しかし、今は見るだけなら画面越しでもできてしまう。そしてその時に感じ取れるものは、今の自分たちにとってはどうだろうか。少ない方で桁違いな文しか、出てこないと思う。取り戻す必要が、ある。
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沈んでは浮いて。
泳いでいると言うよりは溺れていないが正しい。
水の表面での息継ぎの仕方は教われど、人生の表面でのやり方は、なんだ?
当たり前のように生きることの凄さを僕らは気がついていない。
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煮えたぎる湯を電気ポッドで沸かし、コーヒー豆を目分量でミルに放り込み、どの豆でもメモリ4〜5の間の荒さでひいて、カップに直接置いたドリッパーにフィルターを敷き、その洗い立てのTシャツのような白の上に黒茶の粉を落とし、とんとんと少しならしてから(人差し指の第一関節まで埋めて、コピルアックと唱えてもよし)、電気ポッドから白銀のケトルにお湯をバトンパスし、ろくに冷まさずにすぐに乾いた砂丘へと注ぎ、濡れそぼって色が濃くなった大地が浮き始めたら一度注ぐのをやめて、湯気が地獄のように浮かんでいくのを見下ろして、気がついたら何回かに分けてお湯を注いでいく、ケトルが軽くなってどれどれとドリッパーを外すと、カップには並々と黒い底なし沼が現れる。怠惰なりの儀式的な朝の迎え方である。
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feeling
thinking
writing
reading
Q. What’s the common thread among them?
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ランニングをしていると普段は目にとまらないものが見えてくる。朝でも、昼でも、夜でも。世界が自分のあずかり知らぬところで、素知らぬかおで巡っている無数の流れの一つに身を投じる感覚。
ランニングの記録はちょうど今日で通算280回。別段、毎日とか2日に一回とか週に一回とか、ルールは設けてないので5年目にしては少ないほうだろう。旅先など各所の記録も含まれるが、近所を走ることが多いから200回は同じコースを回ってると考えてよいだろう。
広げた地図(紙の地図は現存するのか?)の上を、200回もぐるぐると描いた線の重なりだけではただの歪な環。しかし、同じ場所をぐるぐるしてるだけなのに全く同じランニングはなかったと断言できる。
熟れ落ちそうに首をもたげる椿の花、見えずとも確かにそこにいる金木犀の花、腕を広げ全てを包み込む桜の花、そして無。
人も同じだ。




















