issue24
子は親を見て育つ
親は子を見て学ぶ
先生とは決して先に生きている者とは限らない
issue24
子は親を見て育つ
親は子を見て学ぶ
先生とは決して先に生きている者とは限らない
issue23
ハンガーが服を縦にする
マネキンが服を横にする
生きた人間が服を縦横にする
アバターが服を平らにする
が服を線にする
が服を点にする
やがて人間は動物に戻る
memory11
週末のお店というのは、子連れが多くそれはまるでテーマパークのような様相を示す。おとなしくできない子供たちの迸るエネルギーを肌でいつも感じる。この街がしっかりと生きて、新陳代謝をしている何よりの証拠だ。
しかし保育園や幼稚園、はては公園までが子供たちの歓声を騒音とし近隣住民からの苦情が上がっているとふた昔前から耳にする。実際、遊具のない公園も増えているらしい(危険だからというよりは、そもそも人が集まらないようにするためなんだろうと邪推してしまう)。
その日は忙しい時間帯も過ぎ、のんびりと接客をしているとどこからかか細い声が聞こえてくる。消え入るような声は初め聞き取れなかったが、発生源を探しているうちに音が意味を持ち始めた。パパを探している迷子のようだ。比較的長く在籍しているこの店で迷子は今までいなかった。親を探す甲高い声とそれに遠くから応える低い声のやりとりを聞くことはあったが、今回の弱々しい放物線を描くボールを受け止める存在はいなかった。
多少焦りを覚えて通路を覗いていくと、3歳ぐらいの子供がいた。下を向いて座り込んでいる。泣いてはいなかったが消え入るような声はそこから流れていた。急いで、しかし怖がらせないように近づいて声をかける。やはり迷子だった。しゃがみ込んで目線を合わせると、子供の見る世界は何もかもスケールが大きい。大きな丸い瞳は不安げに揺れていたが、真っ直ぐにこちらを見ている。受け答えもしっかりとできる子だ。ちょっと待っててねと言い店内を改めてぐるっと回ってみるが、老人や女性がほとんどで、あとは若そうな男が日用品を抱えて静かに物色しているだけだった。子供を探すそぶりを見せる大人はいない。元の場所に戻り一緒に探そうかと言うとその子は頷き、後ろを素直についてくる。後ろからついてきているか気にしつつ進む様は昔のRPGを思い出して変な気分になる。しかし、初対面の子供にはいつも泣かれたり隠れられている身からすると、あまりの素直さとこの子の名を呼ぶ存在が一向に現れないことに違和感を覚え始める。ひとまずレジの方に向かうと、子供はすっと腕を上げ人差し指を伸ばす。そして、小さく、
「パパ」
とだけ呟く。その先には会計をしている老人とレジに並ぶ先程の若い男しかいない。あの人が?僕は思わず何回も聞き返してしまうが、その子はパパに駆け寄ることもせず、指をさしながらひたすら同じ言葉を繰り返している。戸惑いつつも短い旅路になったことに安堵する。レジまで連れて行くがやはりその男は一向にこちらを見ない。子供はパタパタとパパの足元へかけていく。予想はもうついていたが、そこに言葉のキャッチボールはなかった。よその家庭はよそだ。干渉するものでもない。役目を終えた僕は後ろ髪を引かれる思いでその場を離れる。パパと呼んだ男の足元からこちらをじっと見ていたその子の視線が、背中を向けても感じる。
memory10
手で仰いでみるが特に香りは感じられ無い。鼻で直接かがないようにする癖が抜けておらず、店主にもっとぐっと香るように勧められる。思い切って鼻をガラス瓶のなかに突っ込む。なるほど、確かに茶葉とは思えない、瑞々しい果実や蕩けるような花の香りが肺を満たしていく。
次いで、小さなガラスの茶碗に満たされた琥珀色の茶をもてなされた。ありがたく頂こうと口元に持っていくと、先程感じられた香りが液体からほとんどしない。はてなと思いつつ口にすると、香りが鮮烈に蘇ってきた。面白いことに、飲み込んだ後も香りは鼻と口から出ようとせずスーッと余韻が伸びていく。店主は見透かしたようにその香りのことを「○×△」と言った。中国語だったので正確に聞き取れなかったが、この現象にも名前があり、それを愉しむ世界があることにどこか安堵した。中国の茶碗が一般的に小ぶりであることも繋がったような気がする。
店主はそんな僕らの様子を満足げに見つめていたが、おもむろに藍色に染まった衣を脱ぐと「香 港」と胸元に大きく書いてあるジャージを着ていた。
始まりから終わりまで、なかなかにやり手である。
memory9
南南東微南、165°
地図で恵方を眺めてみると平等院が目に入り、あとは青々とした山岳地帯。
日本を抜けるとひたすら海しかない…と思いきや、途中、白い点が見える。
拡大してみると、「グアム」。
こんなところにあったのか。テレビで見るようなリゾート地が脳裏をよぎる。
意外な発見に少しばかり浮き足立ち、さらに恵方の奥地(海?)へと進むと、灰色のエリアで地図は動かなくなる。
おや?と思いよく見ると、「南極」。
とくにこれといった情報は地図に示されず、灰色のまま南極は沈黙している。
旅路が存外すぐに終わってしまった味気なさと、親指数往復で世界を知れてしまう(気になる)現代に、ある種の不気味さを感じてしまった。
memory8
無心で走っていると、今までに走ってきた経験の断片が、ワッとフラッシュバックすることがある。
思い出や記憶とはまたどこか違う。懐かしみながら、連想ゲームのようにたぐり寄せて意識するわけではないので、おそろしいほどに一瞬。右足が踏み込み、地面を蹴り上げ、左足もまだ着地しない、身体が完全に宙に浮いてる刹那ほどだ。
そしてその感覚は大学生、高校生、中学生とどんどん過去へと、過去というよりは走ることをまだ、ありのままに受け入れていた経験へと遡っていっている。
事実を生のままで受け入れ経験し、哲学する。純粋。原体験を重んじ、美意識となす。大抵は同じことを、あの手この手でこねくり回して言い方を変えてるだけなのかと薄々気づき始めたので、古典にもようやっと手を出そうかと思えるのだった。
issue22
朝起きた今の意識は、昨晩寝る前の意識と同一なのだろうか
同じだと錯覚できるところに、人間たる所以があるとも言える
それでも不安でしかたない、外部にその所以を求めた結果のいくつかが、服と装飾品なのだろう
着飾ることは自分を自分の延長線にあると認識する、してもらうための記号を増やすことも意味する
カオをカオ以外に分散させたいと願っている
memory7
大きな影と小さい影がもつれ合うように空を飛び回る。
遠くを望めば必ず壁のように山がそびえ立つこの街に来てから、そんな光景をよく目にする。
鷹とカラス。
一見、鷹がカラスを襲っているように見えるが、しばらく眺めていると、どうやらちょっかいをかけているのはカラスの方らしい。
ナポレオン・コンプレックスという言葉がある。
カラスは産まれながらにして、習性としてコンプレックスを刻まれている。
頭が良いとは善いことばかりではない、それはヒトとトリどちらにも言えることなのだろう。
Person2
現代版文通仲間、もといメル友、もとい友人からおすすめの本を借りました。石田ゆうすけの「洗面器でヤギごはん」、中島らもの「アマニタ・パンセリナ」。沢木耕太郎の「深夜特急」を小学生の頃に読みあさり、毒物やドラッグのテーマは僕にぴったりだ。相手の好みや思想に合わせて本や音楽など、バーテンダーのように提供出来る能力は出会うたびにひたすら感心してしまう。目の前に差し出されたそれは世界をおしひろげる、又はその人の世界の一部となり、より確固たる世界をつくりあげるから。僕がそれをするには、寄り道をしすぎたのでまだ早そうです。
進捗はというと、短編集なことに甘えて、まだ二冊目に取りかかっているところです。学生の頃には考えられないことだが、読みかけの本が恥ずかしながら他にもある。「神道の逆襲」「文人悪食」「神曲のツボ!カッコいいの構造解析」「自分の中に毒を持て」「日本の地霊(ゲニウス・ロキ)」…昔ほど乱読はしてないつもりだが、一貫性はあるようで、ない。そもそも、こんないわゆるお硬い本というのをあまり通ってきていなかったのも遅読に拍車をかけている(小さい頃、速読教室なる所に通っていたが果たして意味はあったのだろうか)。以下に手にとった経緯をだらりと載せておく。
神道の逆襲:一神教に関しては「ふしぎなキリスト教」でざっと入門はしているが、日本古来の宗教に関しては無知だったため。bjorkが日本の番組で過去に神道に興味をもっていたこともあり、知るべきと手にとった。冒頭は興味深いが、途中から初心者にはとっつきにくくなり足踏み。
文人悪食:元立誠小学校の図書館で目に着いたので。小説からだけでは見えてこない、食を通して見る文豪たちの姿。面白いのだが、親族の文章の明晰さ、美麗さに慄き足踏み。
神曲のツボ!:作曲を独学で進めているので、手ほどきになればと思ったのだがハイレベルで足踏み。プレイリストがサブスクで配信されているので名曲を網羅できます。
自分の中に毒を持て:かの岡本太郎氏の著書。万博のオブジェのイメージしかなく、まずは岡本太郎を知ることから始めないとと思い足踏み。
日本の地霊:ゲニウスロキの言葉に惹かれて購入。中身は聞いたこともない土地の歴史と著者の解釈がひたすら続いており足踏み。
…こんな文章の書き方を始めたのは、冒頭に出てきた友人の、とある枕頭の書が影響している。20年以上前のブログ日記を書籍化したものと聞き、興味が湧いたのでネットで購入(著書の肩書、あらすじで結末は予想がついてしまうのが無念。だから僕は物語を買う時はできる限り前情報なしで、買った後もまずはカバーを外します)。
ネタバレは避けて感想を言えば、この書籍は猛毒だ。読まれるのが前提で書かれているとはいえ、あまりにも研ぎ澄まされた感性と生々しい著者の本質は、果たして読んでいいのだろうか?という疑問が常につきまとう。ただ読み手に徹しているつもりが、こちらの日常までも浸食してくる。僕は、ドーパミンの「次のページへ進め!先を知るんだ!」という号令に背いて、視線を左に移さず、本を閉じるという初めての経験をした。10代の頃に読まなくてほんとによかったと思う。
しかし、猛毒も使い方によってはクスリになりうる。チョウセンアサガオを妻に使った華岡青洲、毒ヘビの毒を血圧降下剤や鎮痛剤に転用する試み、抗癌剤も健康な細胞にとっては猛毒だから副作用が大きい。そもそも、クスリなんて毒を動物実験と人体実験(という名の治験)を通して治療域に納めているだけに過ぎないと思っている。話は逸れたが、人によってはその姿に勇気をもらえるのかも知れない。儚さに魅了されるかも知れない。美しさに心休まるのかも知れない。怖いと美しいは紙一重だからだ。
正直、ここまで書いて、未だに書籍の名を出すかどうか迷っている。まだ整理がついていないせいもあるかも知れない。整理がついた頃に、載せることにして、筆をおくことにする。
P.S.
ネット釈明期、一方通行、それぞれのページ、静謐、広告のないウェブ、居場所、変人時々怪人、名無し。
そんな空気感を私は現代に欲していることに気づく。
memory6
賛美歌の慇懃とした響きと、工事の荒れくれた機械音が開け放った窓から入り込む。
持参した浅川マキのレコードはゆっくりと回っている。
馴染むことのない音たちが付かず離れず、途切れとぎれに合わさっているが、水が滴り、弾ける音だけは絶え間なく響いている。
「水」と石、「水」と鉄がぶつかり合う音。
青空の陽光を受けてまるでストップモーションのように屋根から滴り落ちているのは雨「水」でなく、雪解け「水」だ。
雨、傘、面倒、音、癒し、外、雪、氷点下、冬、寒い、氷、閉じた世界、溶ける、終わり、冬、暦、始まり、春、雨水、雪解け水、水、H2O、液体、音、ぶつかり合う。
本質は同じはずなのに、言葉が運んでくる物語性は、底知れない。
「今日は久々の青空だから、窓を開けてみたの」
春が待ち遠しい。