• memory31

    どうもやる気が出ない

    そう言うと弛緩した空気がまどろみでる

    きょとんとした顔を見せるとそれが休みの日だよと返ってくる

    確かにそれが休日というものか

    悪食のように手当たり次第に手にとっては胃袋に納めようとするのに必死で基本的なことを忘れていたようだ

  • memory30

    星座はオリオン座しか覚えていない

    真ん中の三つは我ら三兄姉弟なのだから

    見上げたあの頃の登り坂と下り坂を覚えている

    確かに覚えている

  • memory29

    『働くことは人間の、男の罪女は腹を痛めて子を産むのが罪

    日曜は休む

    神様は地球を作るときに六日働いて一日やすんだから

    父のルール

    父の姿を見て子は真似る

    タンパク質

    牛乳飲め』

    これはある人が走りながら指を走らせたメモ書きの内容だ。これを書いた人は昨今のプロテインブームを嘆き酪農家の現状を憂える結果に至ったのだろう

  • story6

     来月急遽異動が決まった。他の人員にかなり動きがあり、自分もその波に押されるようにしてどこかへ流されるのはなんとなく予想がついていた。だから、上司がタバコを吸いながら申し訳なさそうに切り出してきた時も特に驚きはしなかった。背負う責任も年数と共に徐々に増え、今より忙しい店舗なのは確実だ。しかしそんなことは他人事のように頭から流れ落ち、代わりに良くしてくれたお客さんたちの顔が湧き出てくる。残りの日数で全員に挨拶できるかなと上の空で考えていると、口からまどろみ出る白い煙の中にある心配事がふつりと浮かぶ。◻︎さん。あの人大丈夫かなあ。


     ◻︎さんは僕がこの店に来て以来なにかと相談事や世間話をしてくれるお客さんのうちの1人だ。そして僕が来てしばらくして認知症と診断され、どんどん症状も進行していた人だ。別の薬剤師が接客した内容を僕と勘違いし始め、同じものを別日にも買いに来るようになってきた。最近は開店の30分前から店の前の扉に立っていたり、裏口の駐車場にいることもあった。◻︎さんは挨拶するたびに私のあたま、おかしいのと頭を自分で少しこづいて、笑顔をこちらに向ける。僕が認知症のことを知ってるのはパートのおばさんが◻︎さんの家族の友達の友達で、心配になった家族づてにここまで話が届いていたわけだ。しかしそれを本人に悟られるのはあまり好ましくはないだろう。僕だって忘れますよとすまして言うが内心は沈痛な面持ちだった。


     母方のおばあちゃんは認知症になって死んだ。京オンナらしく豪胆な印象が小さい頃から強く、おほほとよく笑う人だった。しかし最期は何もかもわからなくなって笑顔で逝った。そんなおばあちゃんと重なり、遠くに桃色のサンバイザーが見えると姿を隠したくなってしまう。それでも毎回同じ挨拶をし、同じやり取りをし、話題に困りながら天気の話をする。変化があるとすれば、異動の話。また今度と言い振り向き間際の背中に異動のことを伝えると、少し止まる。少し止まった後、すーっとこちらに向き直り、思ったよりも冷静な声で寂しくなるわね。また来ますと言い残していった。その時どんな表情をしていたか思い出そうとすると、迷子の子供の姿が映るのはなぜだろう。


     そしてある日、一仕事を終えふと入り口の方に目を向けると◻︎さんが立っていた。後ろには僕の母親と同じ年齢ぐらいの女性が2人いた。白いポロシャツに首から青い紐をぶら下げている。格好からして、そうなのだろう。◻︎さんは笑顔で友達を連れてきましたと言う。僕は素直に安心しましたと後ろの2人に向けて言う。2人は事情をあまり知らないのか少し困惑した表情を浮かべる。この白衣の男は何者なのだ?そんな2人を見ながら◻︎さんと一緒に秘密めいた笑顔を浮かべたりした。雷がごうごうと鳴る音はするが、店の窓からは晴れた空が見える不思議な日だった。

    ※これはあくまでstoryであり、memoryとは違うことを付け加えておく。

  • memory 28

    イエス・キリストは磔刑に処された。

    十字架には数種類あるが、彼が運び張り付けられたものはアルファベットの「t」だった。

    「t」の利点は頭のうえにちょうど罪状を張り付けられるような形をしていることだ。

    そしてイエス・キリストの頭上に掲げられた紙には「ISNI」と書かれている。

    最近のinstagramのプロフにも、大文字のアルファベット4文字が張り付けられていることが増えた気がする。

    信仰心の厚さから発せられるわけではない、恨みのこもった叫び声が聞こえてきそうなものだが、特段、磔刑やイエスとは関係なさそうだ。

  • memory27

    久方ぶりに美術館に足を運んだ。

    鉛筆でメモを走らせる人も、

    耳打ちしてお互いの意見を交換する人も、

    撮影可のエリアに入るととりあえず写真を撮っておく人も、

    解説の文にかじりつく人も、

    恋人の横顔ばかりを見てる人も、

    わからなかったのがわかるかもと販売所で図録に手を伸ばす人も、

    こうやって人間観察に励む人も、

    何が正しいかとか、そんなことはない。

    それがアートなのだろう。

  • memory26

    「■■■■■■■■■」

    「私にはよく眠れる薬が欲しいです」

    「△△△?」

    「■■■■■■」

    「■■■■■■■■■■■■■■ハバラヒリ■■■■」

    「△」

    薬のほうがいいですか?

    ■■■■■■

    「■■■■■■■」

    「より強い薬があればそれがいい電話です」

    彼は少し肩を竦めて首を横にふる

    私は微笑み、しばらく逡巡する

    これが一般的な薬です

    ■■■■■■■■

    「■」

    「△△」

    アンドロイドは電気羊の夢を見るのだろうか

    夢を見るために寝、寝るために夢を見る

  • issue32

    Mr.

    Miss.

    Mrs.

    man

    woman

    human

    主人

    旦那

    家内

    奥様

  • story5-1

    「そろそろ着くよ」低い声が背中にぶつかる気配がして、深く沈んでいた意識が引き上げられる。軋む音がするのは小さく丸まっていた身体からではなく、この身体を乗せている古い小さな舟だ。うたた寝をするなんていつぶりだろうか。霞む視界を瞬かせ身をよじり振り返ると、声の主は前方を見据えたまま立っている。手に握る棒を振り子のようにゆっくりと左右に揺らすと、それに合わせて舟もギィ…ギィ…と鳴きながら左右にその老体を揺らす。そのリズムはやけにもたついていて焦ったいものだが、身を委ねてしまうとまた再び眠気が戻ってきそうなので背中をしゃんと伸ばす。視線を前に戻すと舟頭にぶら下げられた光の先に、暗闇に浮かび上がる大きな影をいまだに霞む瞳が捉えた。古めかしい建物…洋館と例えるべきなのだろうか。ところどころ窓から橙色の光が漏れている。建物は左右非対称になっているだろうか。左側に先端の尖った塔が一本そびえ立ち、右側は屋根がドーム状になっており、本館とも言うべき一番大きい真ん中の建物と歪につながっている。つら構えは非常に重厚で、あまり感じることのない建物のいかめしい表情というものを垣間見る。波止場に降り舟守にお礼を伝えると薄闇の中でかすかに頷く気配だけが伝わり、またきた方角へと舟がゆっくりと滑り始める。小刻みに揺れる光が遠くなるまで立ち尽くして眺める。遠くの暗闇には他にも水平線上に動く小さな光が点在し、上には満点の星空が広がり続けている。冷たい風がくるくると足から首へと這いまわり目が完全に覚める。こうしてはいられない、急いで向かわないと。建物へは一本道なので迷うことはなかった。遠目で見たときはその佇まいに厳格な父性を思わせるいかめしさを感じたものだが、いざ実際に建物の前に立つとおやと思う。そこには年輪のように重なり合う鬱屈とした空気はなく、老齢の肌を思わせる深く刻まれたヒビに掌を押し当てても何も返ってくるものはなかった。古い建物とはいえおそらくここ数十年で消失した建物をわざと古く建て直したに過ぎないのだろう。いささか困ったような、バツの悪そうな空気に変化した気がするのは私自身の問題だろう。

    石造りの門へと近づくと、扉は音もなく左右にスライドして壁に吸い込まれていく。やはり、ガワは古く見せ、中身は進化の止まった技術がふんだんに詰め込まれているようだ。身体が完全に建物に飲み込まれると背後で扉が静かに閉まり、四方が鏡に覆われた空間にいた。光源は見当たらないが薄暗いと言うよりは薄明るい。この通過儀礼とも言えるような空間、行為はいまだに慣れない。早く終わって欲しい一心で目を閉じる。完全に防音なのだろう、普段は意識しない自分の中の音が徐々に聴こえ始める。サラサラとした高音と、ドクドクとした低音。混じり気のない音。思いもよらないところで自分がまだしっかりと生物である再発見をしたことに内心驚く。前方からやけに湿っぽい視線を感じ意識を内から外に戻すが、合わせ鏡になっているのでひたすら自分の姿が反復されているだけだった。居心地の悪さに少しみじろぎをすると鏡の中の自分も何十何百何千と同じ動作を繰り返す。光の速さは1秒でこの星を何周もするには早いらしいが、何万何億何兆と鏡が同じ動作を反復していくとついには自分よりも遅く動く自分がこの中にいるのではないだろうか。そうでなくとも、これだけの自分がいれば一人ぐらいは違う動きをするのではないか。いささか不安になり始めた頃、ピンと音が鳴ると目の前の鏡に亀裂が現れ、また音もなく左右へと吸い込まれていくので急いでそこに飛び込む。薄明るさは多少穏やかなものに代わり、エントランスを抜けられたことを実感する。数回深呼吸をして気を引き締め直す。まだ本題はこれからなのだから。緊張によりすっかり冷えてしまった手先で懐から合成紙の封筒を取り出し、中身を確認する。事前に受け取った招待状に同封されていた案内によると、この先には中庭が鎮座し、そこを中心に螺旋状の階段がぐるぐると上へと伸びている。そしてその階段に沿って様々なお店が連なっているらしい。どう見ても建物の外観よりも高さのあるそれも、今となっては目新しさもない子供騙しの技術である。案内にざっと目を通し、封筒に戻す際に招待状がはらりと足下に落ちた。ぎょっとして周りを見渡すがそれに気を止める者はおらず、皆幽霊のように行き来している。そそくさと拾おうとすると、あまり見ないようにしていても、招待状に手書きで書かれた最後の名前に目がまた止まってしまう。「エドガー」。やけに丸っこい筆跡で書かれていて、柔らかさと温かさを思わせる。と言うよりは思わさせられているとでも言うべきだろうか。両親はこの招待状が届いたときには手を取り合い歓喜の舞を不格好に踊るぐらいには喜んでいたが、私自身はあまり気乗りしていなかった。

    しばらく道なりに歩いていると、中庭のほうで大中小様々な影が集まり、うごめいていた。時折、ポラン…ポラン…と電子音がそこから漏れてくる。今は絶滅してしまったウマの中でも縞々模様がある種は、寄り集まり、模様を一つの大きな生き物に見せることで捕食者から身を守っていたらしい。おそらくそれと同じ現象で、私はその影の集まりが次の獲物を探しまわる非常に不気味な生き物に見えた。十歩ほど離れたところからしばらく観察していると、皆同じ方向を見ている。見たこともない動物のような仮面をそれぞれつけているのでどんな表情かはわからない。それでも、少し上を、斜めに視線が集まっているように感じる。視線の先を追ってみると、そこには建物のガラスに映し出された大きな丸が浮かんでいた。まだ無垢だった頃の姿のままで、白々しく。ああ今日は旧暦で中秋の名月にあたる日だったか。埃が被るどころかもはや風化し、触れば砂のように溶けてしまいそうな昔の風習を引っ張り出してくる試みは、集客という点ではある程度功をなしているようだ。見るまで忘れていたとはいえ、そんな風習やら大昔に絶滅した生き物のことをすぐ思い出せたのは曽祖父のおかげだろう。曽祖父は当時でも古い人間と評されていたぐらいで、多様性に合わなかったり過去の遺物で役に立たないと捨てられてきた風習や格式、知識を丁寧に拾い上げて棚に納めるような人間だった。まだ身長が伸びる余地があった頃の私はどうしてそんなことをするの?と聞いたことがある。曽祖父は子供の純粋ゆえに研ぎ澄まされた質問を柔らかく受け止め答えた。「これが良いとかあれは悪いとか、選ぶ事が全て正しい訳じゃないんだ。その時は正しく見えたとしても時代が変われば、その基準も変わるからね。知識も同じだよ。今は役に立たなくても後には役に立つかもしれない。生き残るには道具は多いにこしたことはないさ。」私は言葉が終わりに向かうにつれ、曽祖父の目元の柔らかなシワがどんどん眉間に移動して、山のように深くなる様子を見届ける。曽祖母にとっては曽祖父が金にもならないことに執着し妄信しているように映っていたらしく、晩年には別居していた。今思えば、実際のところは別の息苦しさがあったのかもしれない。少し甘く、煙ったい香りが鼻の奥から湧き出て頭の中の記憶の扉を軽くノックするが、影の生き物の低くくぐもった鳴き声から隠れるように止んでしまった。

  • 二面性の存在

    日本人は何を考えているかわからない

    日本人は素直じゃない

    日本人は本心をなぜ言わない

    ジェンダー問題に関心のある人間が人種を主語に置くのはどうかと思うが、そんな感情を会話の端端で感じるし、実際耳にする。まるで自分が責められているようで耳が痛いものだ。そんなことを言われてもここは日本だし、貴方がいるのはそんな日本なのだから仕方ないじゃないかとも思うが、そんなことを言えばあれよあれよと格好の的にされてしまうので口をつぐむばかりだ(このやり方がすでにJapanese likeなのだろう)。

    とは言え、自分自身もそう言われてしまう理由が漠然としているので、日本人のこのイメージについて考えてみる良い機会かもしれない。

    まず何よりも、そんな日本人がシャイであるのは人種云々の前に個々の性格が起因しているのは言うまでもない。小さい子に接する機会がこの歳になると増えてきたが、すでにこの時点でせかせかと動きまわり思ったことをすぐに口に出せるわんぱくな子もいれば、じっと様子を伺う物静かな子もいる。そのまま成長すれば後者がいわゆる日本人らしい奥ゆかしさを代表しそうに思えるが、実際にはそこから育つ環境によって如何様にも姿は変わる。遺伝と環境どちらの影響が大きいかまでは断言できぬが、海外の人が「あなたは〜」ではなく「日本人は〜」と主語を大きくして言いたくなってしまう原因は、個々の遺伝というよりは日本という環境によるものなのだろう。

    環境にも宗教、社会、民族など色々な要素があるが、1つは神道の影響だ。八百万の神という言葉はだれしもが一度は耳にしたことがあると思う。簡単に言えば万物には神様が宿るから、物は大切にしようという教訓だ。その考え方に高い親和性がある日本人は言ってみれば元々は多神教だ。そして良い神も悪い神(人にとって)も両方とも同じように敬い、奉り、おもてなしをする。両方というのが肝である。自分たちにとって良い神をもてなす分には多少の緊張感はあれど和やかなムードで時はすぎるだろう。しかし、悪い神をももてなすというのはどうだろうか。僕なら笑顔はひきつり、指は膝の上でまごまごと衣服をつまみ、時計があれば見る見ないの葛藤でそれどころではない。しかし外面的には良い神と同様、もてなすムードを出さなければならない。千と千尋の神隠しを観たことのある方なら、オクサレ様のエピソードを想像すればわかりやすい。強烈な悪臭に髪を逆立て目をひんむきつつも、おもてなしをする。そして神がお帰りになり、やっとひと息をつける。

    ここで言いたいのは、自分たちにとって悪いものも表面上は受け入れ、もてなそうとする精神が日本人の根底にはあることだ。世界の大半を支配するキリスト教とイスラム教は一神教だ。唯一のGod。故に他の神は良い悪いに関係なく、認めない。これが他国の人から見て日本人のYes or Noが曖昧だったり、本心がよくわからないという感想に繋がる。この日本人に特有と思われがちな二面性にも神道は一役買っていると僕は考える。というのも、キリスト教の聖典と呼べるものはユダヤ教の旧約聖書を土台にイエスキリスト以降の新約聖書が新たに追加された二段ロケット方式であるのに対し、神道は「表」の古典とそれを補う形の「裏」の古典が存在しているからだ(正確には神道には経典と呼べるものはないらしい)。

    まあ、そもそも、人間は話す相手によって自分を変えていくものだし、こんなこじつけをする必要もないのだが…。

    もう1つは民族性だ。参考になりそうなものに有名な『菊と刀』がある。実際に日本でフィールドワークをしてないということで信憑性には欠けるが、それでも興味深い内容もある。日本には「恥の文化」があるらしく、キリスト圏でみられる人に懺悔(罪の告白)をすることで罪が赦されるという「罪の文化」とは全くの逆である。罪や弱みを人に知られることは(当時の)日本人にとって恥なのである。罪を憎んで人を憎まずとはよく言うが、恥を憎んで人を憎まずとは聞いたことがない。そんなことになれば人が恥を隠そうとするのは自然な流れだ。話は少し逸れるが、先日やっと初めて観た戦場のメリークリスマスでも日本兵が「恥」という単語を使っていたのを思い出す。日本男児の恥。世間の恥。なんともまあこれまた大きくもあり、あやふやな主語である。当時の戦前戦時中の日本の右向け右ぶりは現代の我々から見ると異常にみえるが、はたして現代の我々は、未来の我々から見られた時に異常ではないと言えるだろうか?外部からの多様性の奔流に右往左往している、まさに変化の最中ではあるがそれでも因習は根深く残っている。例え内心では違うことを思っていても世間を気にし、空気を読むことで周りに合わせた曖昧模糊な言葉を出す。これが日本で生きていく術なのだから仕方ないこととはいえ、結果として海外から見ると日本人が自分の意見を持たない人種と思われてしまうのかもしれない。

    以上のことから、冒頭のような身に覚えがあって、しかしはっきりと頷けない言葉を言われることになってしまうのだろう。ちなみに、神道について言及したが、日本人無宗教説と言う本を現在読んでいる。このテーマもよく考えることだったので、少しずつ読み進めている。日本人は無宗教である、無宗教ではない、と結論づけるものではないが、先人たちが同じ問題で悩んでいたことがよくわかる一冊になりそうだ。