• issue29

    issue29

    ミギャアオミギャアオ

    聴き慣れない音がhibariを抜けて耳に届く

    道の反対側には大きく「鬟滄カ」の文字

    視線を足下に戻すと黒色でも灰色でもない、琥珀色の羽が落ちている

    『いただきます〔連語〕食事を始める時に感謝の意を込めてする挨拶の言葉』

    辞書にもしっかりとこの言葉は載っているが、不思議と誰への感謝かは書いていない

    いずれにせよ、世界の大半が話す中国語、英語にはこれに相当する言葉はないという

  • memory17

    memory17

    ネパール料理屋は落ち着く

    メニューを眺めている間、眠そうな男性店員はボールペンをカチカチと鳴らしてその感触をもてあそんでいる

    カレーといえばインドを思い浮かべてしまうが、昔のカレーのCMでインド人もびっくり!のようなフレーズを使っていたのが根深く影響しているのだろうか

    子供の甲高い一声が店の奥から響き渡りレゲトンに乗せていかにもなインド然、ネパール然とした音楽が流れる

    頼んだザクロのラッシーは姿は同じだが喉がやけるような甘さのマンゴー味を隠れ蓑にして出てくる

    無理矢理狭いテーブルに料理を次々と乗せるものだから食器が他の食事を少しかじりとっていく

    辛さはいつも中間。ネパールと日本の狭間

    記憶よりも大きいナンを黙々とちぎっては食べを繰り返していると、足元に小さい車がコツンと止まる

    小さい救急車

    やってきた方向を見やると5歳程度の子供が床に座ってこちらをにこにこと見ている

    Okay, I got it.

    伝わってるかわからない拙い英語と共に車を子供に向かって発進させる

    英語を喋る時その言葉はただの音の連なりでしかなく、その言葉を喋る時僕は外人然として別人のようになる

    子供と僕の間の半分で車が緩やかに止まってしまったのは大人と子供の差だろう

    隣のテーブルではオーダーを再度取り直している男性店員が女性店員に異国の言葉で、おそらくたしなめられている

    子供はにこにことしたまま車を取り、またこちらに向けて走らせる

    しかし今回は勢いがよすぎて救急車は途中で斜めに傾き横っ腹を擦りながら回転して止まる

    僕はOhhhと言いながらその車を立たせてやり、うまく指先で回転を加えて横転せずくるくると子供の元にまた発進させた

    その光景に目を輝かせて、その子供は床で車を回転させ始める

    救急車はくるくると回る

    正確には救急車の形を模した四角い固形が回る

    ネパール料理屋は落ち着く

    純粋で朗らかで、細かいことを気にしない

    これが先入観だったり、文化をネパール料理屋の彼ら個人に着せているだけなのかは正直わからない

    彼らも自分たちがこの国でどのように見られ、それに合わせて仮面をかぶっているだけかもしれない

    僕はネパールという国に行ったことがない

    四角い固形はくるくると子供の元を離れて、救急車にまた戻って僕の足元に落ちていた

  • memory16-2

    memory16-2

    友人がエドワード・ゴーリーの展示会の存在を知らせてくれたので、2日目の始まりはこの展示へ足を運ぶことから始まった。

    エドワード・ゴーリー。「うろんな客」という絵本が日本では大人も読める絵本として有名であり、僕もその事実を知るぐらいでその他のことは正直一切を知らなかった。前情報も少ない展示に臨む、これぞシンクロニシティの一端。

    展示会の看板とチケットは少し暗めの青色をしていて、その日猛暑日を記録した朝には適度な涼しさを足してくれた。

    入ってすぐのところに物販コーナーがあるのは驚いたが、あとの楽しみとして残しておく(給食ではいつも好きなものは最後に残していた。それは今でも変わらないのだが、みなさんはいかがでしょう)。

    平日の11時ぐらいに訪れたものの既に会場は人の呼吸、衣が擦れ、足を静かに運ぶ気配で満ちていた。美術館特有のこのしんしんとした空気は、時の流れを忘れさせてくれる。だからこそ美術(二次元)を画面(二次元)でみるだけでなく、空気(三次元)を感じにみな美術館に足を運ぶのだろう。

    細かい内容に関しては割愛するが、印象に残ったのは

    ・ゴーリーの「生まれ変わったら石になりたい」という言葉

    ・「源氏物語」をゴーリーは読んでいたこと

    ・「蒼い時」という絵本

    ・上記の絵本の中にヘンテコな日本語があったこと

    展示会のチケット、看板の涼しげな青。実際には「蒼」は、この絵本からきていたのだろう。蒼を背景に不思議な二人がよくわからないことをよくわからないシュチュエーションとともに綴る。物販にもしも「蒼い時」の絵本があれば買って帰ろうかと思ったが、やめた。そもそも置いてなかった(!)のと、この蒼色、ある1ページはゴーリー本人が彩色したものだが残りは印刷会社がその色を参考にして色をのっぺりと置いていただけらしい。うーん、なんとも…。

    タロットカードはかなり後ろ髪を引かれる思いをしたが展示も物販も一通り見終えて次の目的地に向かう道中。SNSで数字だけはやけに多い、酒場のトイレに貼ってあるようないい言葉風の呟きが届く。少しばかり、頭の中に蒼色が入り込んでくる。あの二人の影がちらつく。

    うーん、なんとも、SNSの影響は悪い面が多い気がする。

  • memory16-1

    memory16-1

     半年ぶりに東京へと戻った。仕事終わりに家に帰るや否やカメラと下着と上着、靴、ズボン、1dayコンタクト、タブレット、日傘、ノートPC、メモ帳とペンをぽいぽいとアタッシュケースに放り投げていく。軽快に積み上がっていく荷物たち。そして毎回最後まで悩むのは、旅を共にする本の選書だ。現地で仕入れるのも考慮してあまり数は持っていけないし、そもそも自分の性格上あれやこれや持っていっても全てを読むことはできない。読みかけの本はたくさんあったが、どうせなら今回の旅(という名の帰省)に合ったものにしようと思い、「本屋という仕事」をバッグにそっと忍ばせて部屋を後にした。

     実家に戻るのは大抵年末年始で、特にこの2〜3年はコロナの影響もあったので今回は人の数の多さに改めて面食らってしまった。既に京都も観光客の入りがほぼ回復し、ただでさえ細い路地が、所狭しと人で埋め尽くされている。とは言え、やはり東京は京都と違ってうねるような人の黒い波と、鈍く光る建物が上から降ってくるような圧迫感がある。そして、若い美男美女が多い。男も女も白い肌とすっと伸びる鼻、薄い唇。つぶらもしくは切れ長な瞳。ファッションも含めて、まるでSNSで有名な人たちが画面から飛び出してきているようだった。こんなにも多いと感じるようなことはあったろうか。マスクを外すことで魅力が引き立っているのだろうか?しかし、感心する一方で、異国…いや、異星の地に降り立っている感覚がしてきたのだ。「異星」と表現したのは脳裏に浮かぶ銀河鉄道999の影響だろう。

     主人公の鉄朗は生身の人間で、機械の体を貰いに謎の美女と星々を旅をしているわけだが、人間と機械人間では容姿に性能、生存力どれをとっても機械人間のほうに軍配が上がってしまう。みんな同じ甘いマスク、すらりとのびた四肢。身長も低く扁平足な鉄朗はことあるごとにそんな機械人間から人外(ペット)扱いされてしまうわけだが、彼の物語は語り尽くせないので是非ともご拝読していただきたい。僕がここで言いたいのは、東京に美男美女が多いのはなぜなのか。生まれ持ったものもあるし、努力による変化もあるだろう。美の尺度や基準は無論、時代や文化により変わる相対的なものだが、SNSの普及で人に見れらることが当たり前となっている。そして美の基準が均一化されているのが理由の一つにないのだろうか。前向きな美であるのならそれはいいのだが、少しでも自分の欠落を埋めるための外装というつもりがあるのであれば、どうかそれだけに囚われないで欲しい。生き物らしく大いに食べて寝て外見に囚われず己を貫く鉄朗は機械人間よりもよっぽど魅力的だからだ。

  • issue28

    issue28

    小さい頃というのは、皆あるがままに身体を振り回し、駆け回る。

    世界と一体だった。

    世界がそのまま自分の姿だった。

    しかしある日から変化が生じた。

    器を感じる。

    境界線を感じる。

    やがて「大人」たちは身体の内側に耳を傾けるようになる。

    大人たちと同じ大人になっている。

    その後ろ姿が小さく見えるのは老いたからだけではなく、世界から分離されてしまった当時の子供の姿のままで、この世を彷徨っているからかもしれない。

    以下岩波国語辞典第八版より引用

    ヨガ 呼吸を整え、瞑想(めいそう)の世界にはいって、正理と一体になること。古代から伝わるインドの心身鍛錬の方法。近年は健康法としても行われる。喩伽(ゆか)。ヨーガ。▽梵語

  • memory15

    memory15

     厳しい寒さを耐え抜き、柔らかくなった日差しを浴びて青々とする草はらに身を預ける。カバンの中身は硬いものばかりで枕の代わりにしてはいまひとつだ。伸びを一つすれば、耳元からは下敷きにされている本、ノート、ボールペン、イヤホンケース、家の鍵、財布、スマホたちの不平不満がガラゴロと聞こえてくる。それでも、そんなことは気にならないぐらいに気分がいい天気だ。視線を少ししたにやると、対岸の方でも同じように緩やかな傾斜に伸びきっている人が何人かいた。その隙間を縫うように子供や白い犬が駆け回る。甲高く抜けてくる歓声が響き、犬のしなやかな肢体は太陽の光を放ち白く輝いてる。子供はやにむに犬を追いかけ回し、犬の方はぴょんぴょんと数歩先を軽やかに跳ね周りながらも子供を意識の外からは追いだしていない。やがて子供が追いつくと犬は尻尾をちぎれんばかりにふりまわして子供の顔を舐め回す。

     動物と人間を分けるものは理性の有無という話がある。動物には闘争か逃走の本能しかない。そして親子の愛情に見えるのも、種の保存という生物としての本懐が織りなす自然的な現象に、客観的なストーリを与えたものに過ぎない。しかし、こうやって目の前で繰り広げられているヒトとイヌのやり取りは、本能を捨て種を越えた絆を感じさせるのはなぜだろう。ヒトとイヌは太古の狩猟民族時代の時から共存関係にあり、DNAに深く刻み込まれているからだとある本には書いてあったが、おそらくその著者は犬が好きでたまらないのだろう。

     生きるために、種を保存するためにより強い存在に自分の身を委ねること(本能)がヒトから見て愛情に感じたのであれば、大多数が去勢されDNAのねじれた輪の最後となっている彼らは何のために生きるのだろうか。言葉はまだ必要ないので、彼らは今のところ、何も語ることはなく沈黙を続ける。

     …などと小難しいことも考えつつ、あの犬が川を飛び越え、こちらに駆け寄ってきてくれないかしらとじれったい気持ちを持て余すぐらいには私も犬が好きである。

  • story3

    story3

     早咲きの桜たちも散り、群がる大衆も散り始める頃。闇夜に息を潜める木々に、歪な丸い影がおぼろげに浮かんでいる。生半可な数ではなく、無数に、だ。月明かりを冷ややかに受け、濃い桃色を発しているように私の脳は認識した。不老長寿の果実を彷彿とさせるそれらはたわわに実り、見上げるものに上から覆い被さろうと両手を広げる様はまさに圧巻である。古来からヒトが夢見る桃源郷には、文字通りこのような木々がたくさん植っているのだろう。

     しかし、そもそも果実のなる木など、この辺りにあっただろうか?不思議に思い目を凝らすと、歪な影をした果実はその実、ふさふさとした花弁の集まりだった。花弁はいささか窮屈そうに何重にも寄り集まって、闇の中から静かにこちらをじっと見ていた。短い空気が喉を鳴らすのを感じ、思わず一歩後ろに退く。すると、風もないのに木々がざわめき始める。音は、正体を見抜かれたうらみつらみをたてているように聞こえる。驚きは胸に一石を投じて全身を震わし、ついには渦巻く恐怖に変わり、私は溺れまいと手足を必死に振り回してその場から走った。とにかく遠いところへ。脇目も振らず。背中にまとわりつく感覚が薄れる頃には、息も絶え絶えだった。その場にへたりこみ、のぼせ上がった頭が冷えてくると、なぜ見間違えただけでああも恐怖に慄いていたのか、自分でもちゃんちゃらおかしくなってきた。

    「あの花が咲く木の下にはヒトの屍体が埋まっているんだ」

     幼少の頃に交わした会話が平静を取り戻しつつあった頭に浮かぶ。

    「しかも決まって、一人寂しく死んだヒトだけがあの木になるんだ」

    「寂しがり屋なんだよ」

    「だから美しくも、はかない花を一年に一回だけ咲かしてヒトを呼び寄せるんだ」

    「呼び寄せて、それでどうするかだって?」

     地面には役目を終えた桜の花びらたちが土と水気に汚され茶色混じりに散らばっている。

     会話は続く。

     別にとって食われはしない、ただ覚えていて欲しいんだ、と。

  • memory14

    memory14

    「音で形を感じれるものがあるとするなら、音の波形以外に何があると思いますか?」

    「まず『形を感じる』ということは五感のうち①視覚的にみること②触覚的にふれることのどちらかに当てはまる。そして、前提として①も②も空間が必要である。」

    「それなら『音で形を感じる』にはどうすれば良いか。音は耳から入る。音は時間と共に変化し、流れて行く。しかしそこに空間という概念はない。」

    「耳から入る音で時間を感じることは出来ても、目や肌のように空間を感じることは難しい。しかし例外として、①は人によっては音に色を見出す人もいるし、②は空気を震わすほどの音圧は肌でも感じ、黒板をひっかく音は背中を引きつらせる…まるで音が直接肌をつっつくように。また、実物はそこになくても、ある音を聴いたら過去それと同じ音を聴いた場面が頭の中に浮かぶことがある(見たことない風景が現れることもある)。頭の中で見ることも、一応①の視覚的にみることに入れておく。」

    「以上のことから、『(時間と空間、つまり時空を越えて)音で形を感じる』にはi:生まれつきの体質 ii:音圧を増やす iii:記憶を刺激する音を再現する、あたりだろうか。iは先天的なものなので、iiとiiiが時空を越えられそうな方法ではある。が、iiは音の波が振動するさまを肌がビリビリと受けるだけであり、iiiも特徴的な波形が作用してるだけなので、結局のところは『音の波形』と言いまとめてしまえるだろう。」

    「…蛇足にはなるが、音の重なりのハーモニーもある意味空間を成しているので、それも一つの答えかもしれない。」

    「君はどう思う?」

    「ⅲから発生する自分の記憶とかふとした感情からくる喉の震え、倍音とかは感じます。波形てきなものですかね。あとは他者を刺激した際にでる反応(表情、声)も別の形で面白いかなと。」

  • issue27

    issue27

    助けられること

    救われること

    この差を感じるあなたには救いが必要

    かもしれない。

  • person1-2

    Person1-2

    活動を止めようとする体の音を

    刻一刻とすり減っていく命の音を

    浮かんでは消えていく心の音を

    最期まで貴方は教えてくれたんですね

    教授