「生物多様性条約の協議が始まりました」
AIが読み上げる音声を聞きながら、ゴーグル越しに動物園のオリを眺める。
まだまだ解像度は、荒い。

「生物多様性条約の協議が始まりました」
AIが読み上げる音声を聞きながら、ゴーグル越しに動物園のオリを眺める。
まだまだ解像度は、荒い。

幼い頃、私はお好み焼きが苦手だった。たこ焼きも苦手だった。粉物だから?茶色い甘辛いソースが塗りたくられているから?違うのだ。私が恐ろしささえ覚えていたのは、上に乗っている鰹節たちだった。
屋台で出される熱々出来立てのオコノミヤキの上でカツオブシたちは生き生きと踊り狂い、その光景を目の当たりにする私はいつも大号泣だったのを覚えている。親兄弟たちはその様子を笑いながら、オコノミヤキを美味しそうに頬張っていく。生きているものをそのまま食べるなんて!普段から生きているもの(正確には生きていたもの)を食べているにも関わらず、私にはそっちの方がショッキングだった。泣き疲れる頃には、カツオブシたちも元気を失い茶色いソースの上でぐでんと伸びきっている。動かないということは、食べられる物だ。そうしてようやく冷めたオコノミヤキをもそもそと食べ始めるのだ。
今思えば、鰹節があれだけ生きている!と思ったのは、親に連れられて一緒にやっていた釣りの影響もある。餌の小箱を開けると、そこには小さいミミズのような虫がわらわらと入っていた。その小さくも確かな生命が動く様を、湯気にわらわらとただ煽られている鰹節の中にも見出したのだろう。動いている物、すなわち生命を食べる。人として、動物として生きていく上で当たり前であり、残酷なことが幼い私にはまだ自覚がなかったのだ。

今日の占いを見る。何か劇的な変化が訪れるらしい。些細な変化も見落とさないようにする。特に何もなく過ごした。
今日の占いを見る。ラッキーカラーは黄色だそうだ。階段で乳母車を運ぶのを手伝う。乳母車の中の赤ちゃんは黄色いよだれカケをつけてすやすやと寝ていた。
今日の占いを見る。健康に気をつけてとのことだ。帰り道に転んでしまう。久方ぶりの再会だが、擦り傷とはあまり仲良くはない。
今日の占いは見なかった。傘を忘れて途方に暮れていたが、隣のクラスの子が貸してくれた。確か名前は…
今日の占いを見る。そして思う。何もかも占い通りに人生を歩んでる人はきっと、どこかにいる。
それが幸か不幸かは、誰にもわからない。

あの頃はどんな時に付けていただろうか。
熱が出て、親に連れられていつもの診療所で順番を待つ時か。
給食を運び、白衣から漂うよその家の洗剤の香りにしかめ面をしている時か。
理科の実験室で、仰々しいゴーグルを曇らせている時か。
表情を取り繕うのが煩わしくなって、何事にも反抗していた時か。
自分の吐いた生暖かい空気をまた取り込み、循環しているさまは、案外嫌いじゃなかった。
今では当たり前のように、春夏秋冬、着けている。
そういえば、子供のくしゃっとした笑顔を最近、見かけていないことに気づく。

私の本当の私はいったい、どれなの?
自分の姿を見ようとしても、何かが映っていると認識した瞬間には、もう相手の姿になっている。
思わず、ため息を漏らす。
一切の混じり気のない自分を見ることは、眠りに落ちる瞬間を捉えることのように、困難だ。
だけど、焦ることはない。
君が映し出すものは総じて、君自身なのだ。
相手が何であったとしても、相手によっていくら姿形が変わろうと、君自身なのだ。
それを聞くと、鏡は人の姿に戻った。
いや、成ったと言う方が、正確だろうか。
いずれにせよ、ここでは些細な問題だ。

”手の、ざらついた肌理の下を骨が、血管が這っているのがわかる。モノクロの映像が陰影をさらに際立たせている。始めはポツポツと鳴るピアノの音はやがて減衰し、息遣いや衣擦れの音、ペダルを踏むくぐもった音、環境のノイズとの境界が溶けて曖昧になっていく。音の響きを伝えるように、そして自分自身も確かめるように、指は粛々と白鍵と黒鍵をなぞっている。狭いワンルームはたちまちに緊張と、解放からなる、聴くための時空へと飛んでいた。”
ーこの形式での演奏を見ていただくのは、これが最後になるかもしれない
闘病中の坂本龍一は12月11日のピアノ単独でのライブ配信が決定した際、このようなコメントを残していた。当たり前のような存在が不意に消えてしまう、永遠はない、会える時に会え、聴ける時に聴けという教訓はこのコロナ禍で嫌でも学んだ。だからこそ、普段あまりライブを観ない私でも急いで配信チケットに手を伸ばした。
私が、かの教授の曲を知ったのは母が寝室で弾くピアノだった。クラシックを弾くことの多い母だったが、ある曲だけはやけに耳に馴染みやすいというか、とにかく印象に残っていた。CMに使われていた「energy flow」。あとからビタミン剤のCMだと知って、疲労回復のビタミン剤にこの曲が使われていたの?と首を傾げそうにもなるが、当時バブル崩壊後でまだ疲弊が残る社会。儚くも、優しく受け止めてくれるようなピアノの旋律が心地よかったのだろう。同シングルはミリオンセラー(そういえば最近はとんと、この言葉を聞かなくなった)だった。これが初めて教授と遭遇した記憶だ。ちなみに、今は「エナジー風呂」という曲もあるが、坂本龍一の響きとU-zhaanのタブラ、鎮座Dopenessと環ROYのラップが心地いいので是非拝聴してもらいたい。
その後の接触は間が空き、まだサブスクが存在しない時代に動画サイトで偶然、「HASYMO」として再会した。おそらく電車か何かから撮影した街並みの映像を、上下で反転してくっつけただけの動画。それだけなのに、見入ってしまった。街は水没したかのように下は海、上は空となっている。「The City of Light / Tokyo Town Pages」はそんな幻想的な、街の平熱を感じさせる曲だった。HASYMOはHuman Audio SpongeのHASとYellow Magic OrchestraのYMOを繋げた名称らしいが、その後YMOが復活しHASYMO名義の曲は数少ない。しかし、私にとってこのHASYMOでの再会は少なからず影響を残していった。
思い出話から戻ろう。今回のライブのセトリや各曲の解説は他のサイト(https://special.musicslash.jp/sakamoto2022/ln-jp.html)に詳細が載っているので割愛する。僕が気になったのは、家での作曲にはスタンウェイの小さいグランドピアノとアップライトを使っているらしいが、今回のライブで使用していたピアノはYAMAHAだった。坂本龍一はYAMAHAを愛用しているそうで、YAMAHAのピアノのイメージを「響きはまろやかで、ふっくらとした温かさがあります。上品な音がしますよね。木のぬくもりとでも表現したほうがいいのでしょうか、硬質な感じや金属的な感じとは異なり、日本の家の木造りのような雰囲気を醸し出しています。」と表現している。日本のメーカーが作るピアノに木のぬくもりという有機的なイメージを持っていたのも、ピアノの響きの減衰していく様に禅的な要素を見出していたのも、YAMAHAのピアノを使い続けていることに関係しているのかもしれない。
演奏もさることながら、私が一番身震いをしたのは演奏後のコメントだった。
ー自分としては、ここにきて、割と新境地かなという気持ちもあります
余韻と一抹の寂しさに浸っていた中で、思わず耳を疑ってしまった。1978年にソロデビューし齢70、ガンのステージはⅣ。そんな状態でも、さらっと言ってのけてしまうのだ。手元にある浅川マキのレコードには、若かりし頃の坂本龍一の姿も写っている。「60歳まではリハーサル」と言っていたアイスランドの歌姫の言葉を思い出す。坂本龍一はピアノを自分を表現する体の一部とする一方で、ピアノを不便で儚いものとしていた。津波ピアノ(アルバムasyncのZUREでこのピアノの単音を聴ける)を引き取ったり、100年ほど前のピアノを裏庭に野ざらしにすることで、ピアノないしは音楽の崩壊を願っていた中での闘病生活は、彼の71歳の誕生日に発売されるアルバムに大きく影響を与えているだろう。
劇中曲も数多い坂本龍一は、最近では「アフター・ヤン」という映画のテーマ曲を手かげている。気のおけない友人達がよく話題にしているので、映画に大して重い腰を上げる時かもしれない。

殺し合い、生き返り、殺し合い、生き返る。
頭を撃ち抜き、倒れ伏せ、悪態を吐く。
次こそはうまくやってやる。
コツさえ掴めば老若男女誰でも対等に戦えるさ。
スマホから気軽に観ることもできるし、上手くなればお金だって入るんだ。
え?何を言ってるんだい。”ゲーム”の話をしてるんだよ。
“ゲーム”なんてそんなものだろ?

issue9
宴だ祭りだえんやこら。
飲めや歌えやお客人をもてなす。
そうして酔ひの合間にふと我にかへる。
はてお客人はどこへ行っただらうか。
神無月はいつからか終わりを迎ふ事はなくなった。
残るは、まことに騒々しさだけであった。