• issue16

    issue16

    煮詰まった空気と頭は、どろどろと甘ったるいすえた匂いを発しているように思われた。

    筆を置き、新鮮な空気を求めて軒先に出る。

    夜風が前から後ろへと体を撫でていき、少し冷えた頭で、言葉が降りてくるのをいつものように待つ。

    いやまて。

    言葉が上がってくるのではなく、”降りてくる”?

    胸の、腹の底でたまっているおりのようなものが、いままさに言葉になろうと喉元をせり上がってくる感覚は理解できる。

    そもそも言葉を考えているのは私のはずで、その私は胸の左側ではなくこの頭の中にいる。

    その私に”降りてくる”ということは、頭よりさらに上から来るほかない。

    上?

    誰かの視線を感じ、思わず上を見る。

    真っ暗な夜空が広がり、星々はきらめきを放っている。

    厳密には、空というよりは宇宙が広がっている。

    宇宙の隣にはまた別の宇宙が寄り添っていて、今も連なりは増えている。

    その億兆京那由多の空間から言葉は降りてくるとでも言うのだろうか。

    それとも、この地球を作った存在が地球の外から言葉を放り投げているのだろうか。

    星々の輝く点は、彼が夜空に針をつついてできた穴だ。

    その穴はこの世界を覗くためであるが、言葉も、音もそこから日々漏れている。

    私たちはその音漏れを幸運にも授かっているだけに過ぎないのかもしれない。

    そんな想像を膨らまし、私はまた書斎へと戻るのであった。

  • issue15

    issue15

    オトナってなんだろう。

    オトナの言うことはききなさいと体のおおきい人はいう。

    つまり、せがのびて体が大きくなればぼくもオトナのなかまに入れるのかな。

    でも、あまりしゃべらないしわらわない子のことをオトナしい子だねとオトナはいう。

    それはつまり、体が大きくて、あまりしゃべらないで、わらわなければオトナ。

    うーん。なにかちがうような気がする。

    だって、あの子は体も小さくてよくしゃべるしはじけるようにわらうけど、オトナよりオトナだ。

    もしかしたら目がちがうのかも。

    しずかに、それでもキラキラとひかるあの目は、ときどき会うほんとうのオトナとおなじ目をしてる。

  • issue14

    issue 14

    「生物多様性条約の協議が始まりました」

    AIが読み上げる音声を聞きながら、ゴーグル越しに動物園のオリを眺める。

    まだまだ解像度は、荒い。

  • memory4

    memory4

     幼い頃、私はお好み焼きが苦手だった。たこ焼きも苦手だった。粉物だから?茶色い甘辛いソースが塗りたくられているから?違うのだ。私が恐ろしささえ覚えていたのは、上に乗っている鰹節たちだった。

     屋台で出される熱々出来立てのオコノミヤキの上でカツオブシたちは生き生きと踊り狂い、その光景を目の当たりにする私はいつも大号泣だったのを覚えている。親兄弟たちはその様子を笑いながら、オコノミヤキを美味しそうに頬張っていく。生きているものをそのまま食べるなんて!普段から生きているもの(正確には生きていたもの)を食べているにも関わらず、私にはそっちの方がショッキングだった。泣き疲れる頃には、カツオブシたちも元気を失い茶色いソースの上でぐでんと伸びきっている。動かないということは、食べられる物だ。そうしてようやく冷めたオコノミヤキをもそもそと食べ始めるのだ。

     今思えば、鰹節があれだけ生きている!と思ったのは、親に連れられて一緒にやっていた釣りの影響もある。餌の小箱を開けると、そこには小さいミミズのような虫がわらわらと入っていた。その小さくも確かな生命が動く様を、湯気にわらわらとただ煽られている鰹節の中にも見出したのだろう。動いている物、すなわち生命を食べる。人として、動物として生きていく上で当たり前であり、残酷なことが幼い私にはまだ自覚がなかったのだ。

  • issue13

    issue 13

    今日の占いを見る。何か劇的な変化が訪れるらしい。些細な変化も見落とさないようにする。特に何もなく過ごした。

    今日の占いを見る。ラッキーカラーは黄色だそうだ。階段で乳母車を運ぶのを手伝う。乳母車の中の赤ちゃんは黄色いよだれカケをつけてすやすやと寝ていた。

    今日の占いを見る。健康に気をつけてとのことだ。帰り道に転んでしまう。久方ぶりの再会だが、擦り傷とはあまり仲良くはない。

    今日の占いは見なかった。傘を忘れて途方に暮れていたが、隣のクラスの子が貸してくれた。確か名前は…

    今日の占いを見る。そして思う。何もかも占い通りに人生を歩んでる人はきっと、どこかにいる。

    それが幸か不幸かは、誰にもわからない。

  • issue12

    issue12

    あの頃はどんな時に付けていただろうか。

    熱が出て、親に連れられていつもの診療所で順番を待つ時か。

    給食を運び、白衣から漂うよその家の洗剤の香りにしかめ面をしている時か。

    理科の実験室で、仰々しいゴーグルを曇らせている時か。

    表情を取り繕うのが煩わしくなって、何事にも反抗していた時か。

    自分の吐いた生暖かい空気をまた取り込み、循環しているさまは、案外嫌いじゃなかった。

    今では当たり前のように、春夏秋冬、着けている。

    そういえば、子供のくしゃっとした笑顔を最近、見かけていないことに気づく。

  • story2

    story2

    教室を抜け出す。

    理由はいつも通り、仮病。先生の半ば諦めと呆れが混じった返事と、何人かが笑い混じりにヒソヒソとする空気にも、もう慣れてしまった。後ろ手に教室の扉を閉め暫くすると、淡々とした声が再び鳴り始めた。深呼吸を一つ。ため息をただつくよりは、深呼吸の方がまし…な気がする。

    保健室は一階の階段横にあるから、ひとつ降りればすぐに行き着くのだけど、わたしはいつも上を目指す。2階から3階へと上り始める。階段の踊り場には、必ず窓がある。窓の外からはボールを蹴る音と歓声があがっている。桜も咲いて、まさに青春といった陽気が降り注いでいそうだ。すたすたと階段を登っていくと、3階と4階の間までやってきていた。窓はどの階にもあるが、全身姿見の鏡はここにしかない。

    怪談めいた話はいくつもこの鏡に秘められている。鏡の前でお辞儀をして頭を上げると小さい女の子が後ろに立っている、秋の季節に夕日が差し込むようになると精霊が現れる、深夜0時に合わせ鏡をすると異界への扉が開いて吸い込まれる…。学校の踊り場に鏡が置いてあるといういかにもな状況だけじゃなく、鏡自体も大きいのだが、年季の入った鏡の枠から溢れる、見たものが息を飲むような重厚さがみんなの想像力を掻き立てているんだろう。

    「みんな怖いもの見たさというか、手軽に非日常が欲しいんだよね。きっと。だからいまだに根も葉もないものを作り上げてみんなで信じてるフリをしてるんだよ。科学が進歩しても。」

    友達のやけにさめた、大人めいた言葉を思い出す。木彫りの立派な枠。彫られているのは花?でも、花にしてはやけに縦にひょろりと伸びて、花びらはお辞儀しているように見える。枠に塗装などはなく生の木のままなので色はわからないが、小ぶりな様子から薄い色の花なんだろうなと思いつつ、つい鏡の方に目を移してしまう。

    鏡にはひょろりと背だけは伸び、重力に負けて猫背気味の制服姿の自分が映っていた。小学生の頃から既に身長はクラスの男子達よりも高かったが、最近は追いつかれ、中には自分を抜かし始める男子もいて、なんというか、気にくわない。

    モヤモヤとした気持ちになるのが嫌で、いつも通りすがりにチラッと見ていただけで気がつかなかったが、枠の右下には小さい銀色のプレートが張り付いていた。そこには「平成四年卒業生一同より」と書かれていた。平成四年…といえば、1992年?40年以上前だ。両親もまだ生まれていないとなると相当昔で、どんな世界だったのか想像もつかない。しかし、何か心の隅に引っかかるものがあるような気がした。図書室には卒業アルバムが毎年新しく並んでいるのでもしかしたらあるかもしれない。

    意外な発見に考えを巡らしていると、気づけば屋上に続く階段まで来ていた。外に出るための扉は固く閉ざされているので、わたしの寄り道もここまでだ。

    いつもならそうだった。あの日は扉の隙間から白い光が一筋漏れていた。光とともに、春風がこの空間の止まった時間をさらさらと流していた。階段には入り込んできた花びらも何枚か落ちていた。外の歓声が先ほどよりも大きく聞こえる気がする。階段を一歩二歩と上がる。授業中にほっつき歩くのは自分ぐらいだけなはずなのに、誰かの視線を感じる。視線というよりは、まなざし?見守られているような、奇妙な安心感がある。扉の前まできた。鍵は開いているようで、風に揺られてキィキィと微かな音を立てている。ドアノブに手をかけようとして、初めて気づく。落ちている花びらは外で咲いている桜ではなかった。それは、ちょこんとお辞儀しているように見えた。

  • issue11

    issue11

    私の本当の私はいったい、どれなの?

    自分の姿を見ようとしても、何かが映っていると認識した瞬間には、もう相手の姿になっている。

    思わず、ため息を漏らす。

    一切の混じり気のない自分を見ることは、眠りに落ちる瞬間を捉えることのように、困難だ。

    だけど、焦ることはない。

    君が映し出すものは総じて、君自身なのだ。

    相手が何であったとしても、相手によっていくら姿形が変わろうと、君自身なのだ。

    それを聞くと、鏡は人の姿に戻った。

    いや、成ったと言う方が、正確だろうか。

    いずれにせよ、ここでは些細な問題だ。

  • Person1

    ”手の、ざらついた肌理の下を骨が、血管が這っているのがわかる。モノクロの映像が陰影をさらに際立たせている。始めはポツポツと鳴るピアノの音はやがて減衰し、息遣いや衣擦れの音、ペダルを踏むくぐもった音、環境のノイズとの境界が溶けて曖昧になっていく。音の響きを伝えるように、そして自分自身も確かめるように、指は粛々と白鍵と黒鍵をなぞっている。狭いワンルームはたちまちに緊張と、解放からなる、聴くための時空へと飛んでいた。”

    ーこの形式での演奏を見ていただくのは、これが最後になるかもしれない

    闘病中の坂本龍一は12月11日のピアノ単独でのライブ配信が決定した際、このようなコメントを残していた。当たり前のような存在が不意に消えてしまう、永遠はない、会える時に会え、聴ける時に聴けという教訓はこのコロナ禍で嫌でも学んだ。だからこそ、普段あまりライブを観ない私でも急いで配信チケットに手を伸ばした。

    私が、かの教授の曲を知ったのは母が寝室で弾くピアノだった。クラシックを弾くことの多い母だったが、ある曲だけはやけに耳に馴染みやすいというか、とにかく印象に残っていた。CMに使われていた「energy flow」。あとからビタミン剤のCMだと知って、疲労回復のビタミン剤にこの曲が使われていたの?と首を傾げそうにもなるが、当時バブル崩壊後でまだ疲弊が残る社会。儚くも、優しく受け止めてくれるようなピアノの旋律が心地よかったのだろう。同シングルはミリオンセラー(そういえば最近はとんと、この言葉を聞かなくなった)だった。これが初めて教授と遭遇した記憶だ。ちなみに、今は「エナジー風呂」という曲もあるが、坂本龍一の響きとU-zhaanのタブラ、鎮座Dopenessと環ROYのラップが心地いいので是非拝聴してもらいたい。

    その後の接触は間が空き、まだサブスクが存在しない時代に動画サイトで偶然、「HASYMO」として再会した。おそらく電車か何かから撮影した街並みの映像を、上下で反転してくっつけただけの動画。それだけなのに、見入ってしまった。街は水没したかのように下は海、上は空となっている。「The City of Light / Tokyo Town Pages」はそんな幻想的な、街の平熱を感じさせる曲だった。HASYMOはHuman Audio SpongeのHASとYellow Magic OrchestraのYMOを繋げた名称らしいが、その後YMOが復活しHASYMO名義の曲は数少ない。しかし、私にとってこのHASYMOでの再会は少なからず影響を残していった。

    思い出話から戻ろう。今回のライブのセトリや各曲の解説は他のサイト(https://special.musicslash.jp/sakamoto2022/ln-jp.html)に詳細が載っているので割愛する。僕が気になったのは、家での作曲にはスタンウェイの小さいグランドピアノとアップライトを使っているらしいが、今回のライブで使用していたピアノはYAMAHAだった。坂本龍一はYAMAHAを愛用しているそうで、YAMAHAのピアノのイメージを「響きはまろやかで、ふっくらとした温かさがあります。上品な音がしますよね。木のぬくもりとでも表現したほうがいいのでしょうか、硬質な感じや金属的な感じとは異なり、日本の家の木造りのような雰囲気を醸し出しています。」と表現している。日本のメーカーが作るピアノに木のぬくもりという有機的なイメージを持っていたのも、ピアノの響きの減衰していく様に禅的な要素を見出していたのも、YAMAHAのピアノを使い続けていることに関係しているのかもしれない。

    演奏もさることながら、私が一番身震いをしたのは演奏後のコメントだった。

    ー自分としては、ここにきて、割と新境地かなという気持ちもあります

    余韻と一抹の寂しさに浸っていた中で、思わず耳を疑ってしまった。1978年にソロデビューし齢70、ガンのステージはⅣ。そんな状態でも、さらっと言ってのけてしまうのだ。手元にある浅川マキのレコードには、若かりし頃の坂本龍一の姿も写っている。「60歳まではリハーサル」と言っていたアイスランドの歌姫の言葉を思い出す。坂本龍一はピアノを自分を表現する体の一部とする一方で、ピアノを不便で儚いものとしていた。津波ピアノ(アルバムasyncのZUREでこのピアノの単音を聴ける)を引き取ったり、100年ほど前のピアノを裏庭に野ざらしにすることで、ピアノないしは音楽の崩壊を願っていた中での闘病生活は、彼の71歳の誕生日に発売されるアルバムに大きく影響を与えているだろう。

    劇中曲も数多い坂本龍一は、最近では「アフター・ヤン」という映画のテーマ曲を手かげている。気のおけない友人達がよく話題にしているので、映画に大して重い腰を上げる時かもしれない。

  • story1

    story1

    「おやすみなさいませ」

     最後の言葉をかけるが、返事はなかった。スイッチを入れると低く唸るような音が部屋に響き渡る。箱の中には眼を閉じ、静かに横たわる子供が一人。白い霧が箱を満たし、やがて姿は見えなくなっていった。

     薄暗い部屋には私以外に二人いた。全身白の服を纏い、手元の端末に表示される項目を淡々とチェックしている女性と、口を真一文字に結び、箱をただ見つめている男。

    「これで一連の流れは以上になります。アフターケアなども誠心誠意を持って行うのでご安心ください」

     再三口にしたマニュアル通りの言葉が男に届いたかは窺い知れない。少しは気の利いた言葉も付け足そうかと逡巡したが、必要以上の言葉は無用だと悟っていた。暫し、稼働した箱の低い音と機械を操作する音だけが響く。

     問題がないことをひとしきり確認すると、チラリと向かい側にいる男の方に視線を移す。よく手入れされたスーツだが、髪はボサボサに伸び、顎には剃り残した無精髭が見え、かなりの疲労感を感じさせる。朧げに光る男の瞳を見てはいけないと分かっていても、視線が吸い込まれていく。

    耳鳴りのような高音が、微かに鳴り始める。

    金縛りの前兆のように体の感覚が奪われる。

    視界はだんだんと暗くなるが、男の眼だけは異様に輝きを増す。

    眩しさに眼がやける。

    眼を覆おうとしても、手は指先一本すら動かない。

    悲鳴にもならないかすれた空気が喉を震わす。

    眩しさは増し、地獄のような熱さを持って全身を貫く。

    チカチカと光が弾け、これはーーーーまたーーーーーーーーー

    ーーー「それでは最終的な手続きがあるので別室へ移動しましょう」

    軽い衝撃と、女性の声で一気に現実へと戻される。

     全身に冷や汗をかき、動悸が止まらない。頬を伝う感覚に思わず白い手袋で顔を拭う。体は動き、喉は乾いてはいるがあの熱さはもう感じない。いつの間にか部屋の扉前にいる女性はこちらに視線を投げた後、男と共に革靴の音を響かせ部屋を出ていった。

    ぼんやりとした視界、肩で呼吸をしながら一人残された部屋を見渡す。

     可愛らしい子供服やオモチャ、はては大人の女性が着るような服や靴がまるで背の順のように置かれている。それらに囲まれるように鎮座している箱は、呼吸をするかのように仄かな光を点滅させている。恐らく目覚める頃には何もかもが変わっているかもしれない。

    心なしか寒くなった空気に身を震わせ、部屋を出た。