• memory5

    memory5

    夏は猛々しい暑さを更新してくるが、冬はいたって冷静に、堅実に寒さをもたらしてくる。安堵とともに、遠く地球の果てで大地がなくなり、生き場を失うシロクマが頭の中に浮かんでくる。クマが白い世界で白くなったようにはいかないだろう。この変化の速さについていけるのは地球で人間ぐらい…いや、人間は自分たちで作ったものにすら翻弄されている。時間の問題だ。

    毎朝、冬の装い(ほとんど黒い)に袖を通すたびにそんなことを考える。今日はより一層冷え込むらしい、いつもより防寒具を増やす。手袋も勿論黒色で、肌にしっとりと馴染むように薄手のをつけている。そして、なんとはなしに、指輪を手袋の上からはめてみた。素手では親指でも緩くてつけていなかった指輪。黒色の手に銀色が光り、はっとする。そこに生き物としての温度は一切なくなり、ただ手の形を模した人工物と輝きだけが存在していた。人間が服に直線を求めたり、皮を塗装したり、形を変えたり、人工物≒無生物への渇望の最終形態の片鱗がそこにはあった。

  • issue21

    issue21

    誰がいつどこで何を言ったかは、正直、知らない

    主義主張も今ではすり抜けていった

    居酒屋のトイレに張り出されている言葉も同じだ

    その時は感銘を受けても、いずれみんなすり抜けていく

    引用しようにも元がどこかわからない

    しかし、脳みそのシナプスの網目には、すり抜けていったそれらの残滓はたしかに残っているはずなのだ

    その残滓を拾い集めて、つなぎ合わせて、ほろりほろりと自分の言葉で他者に語りかけることこそが、対話の始まりだと信じている

    わたしは物覚えが悪いのだから

  • issue20

    issue20

    思いを形にする

    できあがったものは、どうしても境界線が鋭利になってしまう

    元はモヤモヤとしたものなのに

    何故だろう

  • issue19

    issue19

    わたしは、レクトゥールとリズールの狭間に立っている

    リズールの人々はわたしにとってきらきらとしていて、直視できないほどだ

    彼らにしかわからない、言葉が、コミュニケーションがある

    わたしは、大きな川の真ん中で藁をもすがる思いでもがいている

    そしてあなたも

  • issue18

    issue18

    あなた、誰?

    ありがとう

    でも、名前はもう知ってるんだ

    あなたが過去にどんな素晴らしいことをしてきたかも

    それでも、あなたは誰なの?

  • issue17

    issue17

    ぐぐっと、身体が一瞬、硬直する

    痛みはいくら歳を重ねても慣れることはない

    息を潜めて過ぎ去るのを待つ

    わかってるさ

    痛みは生き物が生きていくうえで必要なことぐらい

    でも心が痛くて泣くのは、人間ぐらいだ

    やっと、息を大きく吐き出す

    痛みなんかじゃなくて、色とか、音とか、こっそり教えてほしいものだ

    昔はそんな人間もいたのだろうが、きっと滅んでしまったのだろう

    我々は皆同じ、ホモ・サピエンスの末裔だ

  • issue16

    issue16

    煮詰まった空気と頭は、どろどろと甘ったるいすえた匂いを発しているように思われた。

    筆を置き、新鮮な空気を求めて軒先に出る。

    夜風が前から後ろへと体を撫でていき、少し冷えた頭で、言葉が降りてくるのをいつものように待つ。

    いやまて。

    言葉が上がってくるのではなく、”降りてくる”?

    胸の、腹の底でたまっているおりのようなものが、いままさに言葉になろうと喉元をせり上がってくる感覚は理解できる。

    そもそも言葉を考えているのは私のはずで、その私は胸の左側ではなくこの頭の中にいる。

    その私に”降りてくる”ということは、頭よりさらに上から来るほかない。

    上?

    誰かの視線を感じ、思わず上を見る。

    真っ暗な夜空が広がり、星々はきらめきを放っている。

    厳密には、空というよりは宇宙が広がっている。

    宇宙の隣にはまた別の宇宙が寄り添っていて、今も連なりは増えている。

    その億兆京那由多の空間から言葉は降りてくるとでも言うのだろうか。

    それとも、この地球を作った存在が地球の外から言葉を放り投げているのだろうか。

    星々の輝く点は、彼が夜空に針をつついてできた穴だ。

    その穴はこの世界を覗くためであるが、言葉も、音もそこから日々漏れている。

    私たちはその音漏れを幸運にも授かっているだけに過ぎないのかもしれない。

    そんな想像を膨らまし、私はまた書斎へと戻るのであった。

  • issue15

    issue15

    オトナってなんだろう。

    オトナの言うことはききなさいと体のおおきい人はいう。

    つまり、せがのびて体が大きくなればぼくもオトナのなかまに入れるのかな。

    でも、あまりしゃべらないしわらわない子のことをオトナしい子だねとオトナはいう。

    それはつまり、体が大きくて、あまりしゃべらないで、わらわなければオトナ。

    うーん。なにかちがうような気がする。

    だって、あの子は体も小さくてよくしゃべるしはじけるようにわらうけど、オトナよりオトナだ。

    もしかしたら目がちがうのかも。

    しずかに、それでもキラキラとひかるあの目は、ときどき会うほんとうのオトナとおなじ目をしてる。

  • issue14

    issue 14

    「生物多様性条約の協議が始まりました」

    AIが読み上げる音声を聞きながら、ゴーグル越しに動物園のオリを眺める。

    まだまだ解像度は、荒い。

  • memory4

    memory4

     幼い頃、私はお好み焼きが苦手だった。たこ焼きも苦手だった。粉物だから?茶色い甘辛いソースが塗りたくられているから?違うのだ。私が恐ろしささえ覚えていたのは、上に乗っている鰹節たちだった。

     屋台で出される熱々出来立てのオコノミヤキの上でカツオブシたちは生き生きと踊り狂い、その光景を目の当たりにする私はいつも大号泣だったのを覚えている。親兄弟たちはその様子を笑いながら、オコノミヤキを美味しそうに頬張っていく。生きているものをそのまま食べるなんて!普段から生きているもの(正確には生きていたもの)を食べているにも関わらず、私にはそっちの方がショッキングだった。泣き疲れる頃には、カツオブシたちも元気を失い茶色いソースの上でぐでんと伸びきっている。動かないということは、食べられる物だ。そうしてようやく冷めたオコノミヤキをもそもそと食べ始めるのだ。

     今思えば、鰹節があれだけ生きている!と思ったのは、親に連れられて一緒にやっていた釣りの影響もある。餌の小箱を開けると、そこには小さいミミズのような虫がわらわらと入っていた。その小さくも確かな生命が動く様を、湯気にわらわらとただ煽られている鰹節の中にも見出したのだろう。動いている物、すなわち生命を食べる。人として、動物として生きていく上で当たり前であり、残酷なことが幼い私にはまだ自覚がなかったのだ。