memory4
幼い頃、私はお好み焼きが苦手だった。たこ焼きも苦手だった。粉物だから?茶色い甘辛いソースが塗りたくられているから?違うのだ。私が恐ろしささえ覚えていたのは、上に乗っている鰹節たちだった。
屋台で出される熱々出来立てのオコノミヤキの上でカツオブシたちは生き生きと踊り狂い、その光景を目の当たりにする私はいつも大号泣だったのを覚えている。親兄弟たちはその様子を笑いながら、オコノミヤキを美味しそうに頬張っていく。生きているものをそのまま食べるなんて!普段から生きているもの(正確には生きていたもの)を食べているにも関わらず、私にはそっちの方がショッキングだった。泣き疲れる頃には、カツオブシたちも元気を失い茶色いソースの上でぐでんと伸びきっている。動かないということは、食べられる物だ。そうしてようやく冷めたオコノミヤキをもそもそと食べ始めるのだ。
今思えば、鰹節があれだけ生きている!と思ったのは、親に連れられて一緒にやっていた釣りの影響もある。餌の小箱を開けると、そこには小さいミミズのような虫がわらわらと入っていた。その小さくも確かな生命が動く様を、湯気にわらわらとただ煽られている鰹節の中にも見出したのだろう。動いている物、すなわち生命を食べる。人として、動物として生きていく上で当たり前であり、残酷なことが幼い私にはまだ自覚がなかったのだ。