memory24

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自分の名前を書いて、そして見るのは人生で何回あるのだろうか。個体を識別するためではあるがオンリーワンにはなかなかなれない不思議なもの。煩雑な手続きをする度に幾度となく手書きをいまだに要求される。成長するにつれ真っ直ぐだった線は曲がりそして他の線と歪にも流暢にも合流し繋がっていく。できあがったものは何かの虫が這ったかのような跡。漢字の書き取りをひたすら真面目にしていた小学生の自分に白目で見られても仕方ないぐらいだ。

簡略化してしまうほど慣れた自分の名前。小学生の頃、学校の課題で自分の名前の由来を聞くというものは皆なかったろうか。恐らく当時は聞いてもふーんと思うぐらいだったかもしれないが、気付けば、特に身内なんかはまさに名は体を表すと言わんばかりになっている。国によっては風水や運気を変えるために自身で名前を変えれるところもあるらしい。それほどに名前には占い的な、暗示的な要素があるのだ。と、思わずにはいられない。そんな歳になってきたようだ。