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君たちはどう生きるか

まだ公開間もないので語れる人もおらず、とつとつと考えたことを残してみる。

まだ観ていない人は以下は見ないように。

僕が最初にこの映画のことで言いたいのは、ジブリアニメーションの作画、演出の新しい境地を開始5分の間に目の当たりにしたことだ。唸る空襲警報にすぐさま「火垂るの墓」を呼び起こされる。「となりのトトロ」と同時同時上映された、戦争の渦中翻弄される兄妹の話は戦争の醜さを生々しく現実的に伝えてくれた映画だが、「君たちはどう生きるか」はアニメーションとしての効果を最大限活用した恐ろしさを演出してきた(一回観ただけでは情報が処理しきれずうまく言葉にできないので詳細は割愛)。「崖の上のポニョ」の波の描き方、「風立ちぬ」でもワンカットでの大衆の書き込みの量がアニメーションとして話題になっていたが、今回もいずれそうなるだろう。

しかし話題になる以前に、今回の映画はあまりにも前情報がない。かろうじてタイトルと鳥の着ぐるみ?を着た人間?のイラストがわかるぐらいで、おそらく観客全員がリアルタイムに手探りでこの映画の意図を探っていただろう。

宮崎駿は説教くさくタイトルのようなことを言ってくるのか?

いつこの鳥人間みたいなのは出てくるのか?いや、なるのか?

そもそもファンタジー要素はあるのか?

など。というのも、どうやらジブリスタジオ単独の出資による映画らしいので、宣伝をしないという宣伝に踏み切っていたのだ。関係者は期待と不安で戦々恐々としていたようだが、しかしそれは出資元の顔色を伺う必要がないということも意味している。

歴代のジブリ映画たちはやりたいこととお金を得ること(出資を得ること、興行収入をあげること両方だ)のバランス取りを非常にシビアにしている。それを可能にしているのは鈴木敏夫という『プロデューサー』が宮崎駿という『天才』の舵を取り、出資元や観客が求めるものと上手く擦り合わせているからなのだが、そこから出資元という邪念をなくすとどうなるだろう?

実際には配給元も入ってくるがいわば作り手と受け手の関係だけになり、それは同人世界のような純粋にやりたいことをやるという行為に近付くのではないか。わからない人にはわからない、それで結構。そんなスタンスがとれる。その状態を加味した上で映画の疑問点や考察できうる点を列挙していきたいが、あまりにも膨大になるので咀嚼しながら書いていこうと思う。