memory16-3

memory16-3

 ここからが今回の旅の本来の目的である。懐に忍ばせた本の名前は「本屋という仕事」。本屋による本好きのための本だ。今回巡った東京の本屋にも置いてあるのもよく目にしたが、こんなのを本屋で手に取るのは同業者か同業者予定の人たちぐらいな気がする。つまり僕は本が好きであり、さらにこんなご時世に本を売る仕事を細々としたいと決意している。実際は本だけでなく他ジャンルの商品も手狭に取り扱う予定なので「本屋」と名乗ることはあまりないかもしれない。やるからには実店舗を持つことの意義、モノをどんな客層に、どんなプラスの価値を与えて売るのか。売りたいのか。仕事をしながらもどんな時も頭を悩ましているが、なかなか答えは見つからない。むしろ見つかるぐらいならそれまでだと今は割り切っているが、考えることは単純に、そして純粋に楽しいことに気づかされる。

 本来の仕事も勿論好きなところもあるし、人の役に立っていることは無上の喜びである。しかしこの業界はどうやって売るかばかりに目がいって、そのモノがその客に本当に必要なものなのか、大半が一期一会な関係性の中であまりにもその感覚が薄れているような気がする。ましてや企業が広告に多額を注ぎ込んで中身は眉唾な商品を大大的に売っているところを見ていると、店頭に並んでいる=いいモノではないし、売られている=いいモノでも決してない。悲しいかな、大人が言うことは全部正しいと思っていたあの頃の純粋な僕らではもうないのだ。

 以上の文は5月に書いたものだが、この時と今の状況はかなり違う。SNSを見ていると、予想以上に独立系書店が多い。新たに開店しているのも多い。もともとの本屋が減少する勢いも凄いので、バランスは取れているのかもしれないが果たしてこの状況下で何のバックグランドもなしに店を開くことは正しいのだろうか?個人だからできることを皆でこぞってやれば、レッドオーシャンになることは必然だ。実際、独立系書店に置いてある本は似通ったものが多い。勿論、採算度外視でやっていくつもりだったがその自信と勢いも少し下火になってしまった。現在、新たなご縁で予想だもしない道を迂回していく、ーこれが本来の道かもしれないがー自分でもどうなるか一抹の不安を感じるが、まあ人生はこんなものだろう。60歳まではリハーサルだ。