Story4
穴があいている。
言葉を口から出してみる。
床に穴があいている。
こぶし大ぐらいのその穴は、部屋の床を覆う畳に忽然とあらわれた。まだ寝起きの頭は状況を把握できていない。いぶかる前に好奇心が体をその穴に引き寄せる。なぜなら、ぽっかりという言葉が似合うほど、その穴と畳の境界線は綺麗だ。まるでよく切れる包丁でくるりとくり抜いたかのように。薄い畳の断面が途切れるとあとは灰色の、おそらくコンクリが続いている。私は急いでお風呂場へ向かい、常備してある水泳用のゴーグルを装着する。ろくに調整もしていないので目がみちみちと見開かれる。髪の毛がゴムともつれあい多少違和感はあるが、今はそんなことは二の次だ。そしてその姿のまま穴の前に戻る。手には読書灯。好奇心と恐怖で指先が震え始める。恐る恐る穴の中を照らしてみるが、底はよく見えない。漫画や小説のように別の世界が広がっているとか、誰かがこちらを覗き込んでいるということもなかった。勿論、窃視者の目玉に襲い掛かろうと棒状のものが穴から暴れ出てくることもなかった。
なぜこんなところに穴なんかあいているのだろうか?
安堵が体の中心からひろがり穴への興奮が失せると、遅れて疑問が湧いてくる。顔をあげて周りを見渡すが、いつもの見慣れた部屋でとくに変わりはない。穴の前であぐらをかいて記憶をたどる。物を落としたからといってこんな穴はあきようがない。ああでもないこうでもないとうなっていると、外から雨の音に混じって工事の音が微かに聞こえてくる。ずっと空き地だったところがようやっと開発されることになったのだ。棒が地面に突き立てられ、ぐるぐると回転しているところが脳裏に浮かんでくる。理科の授業でジャージ姿に竹刀を持つ教師がやにむに思い出される。確か、地層についての内容だったろうか。
記憶を頭の中で投影していると唐突に映像がふっと遮断される。いやまて、もしかしてこの穴はここが始まりではなく、上から下へ棒状のもので貫き、くり抜かれたのではないか?おそるおそる天井を見上げてみる。が、いつもの白い天井が広がっているだけだった。そこには私のように覗き込むような目も、穴もなかった。
枕元の携帯が鳴る。そうだ、今日は仕事だった。とにかく準備をしないと。携帯のアラームを止めアップデートされた情報を頭の中に上書きしていくが、その間も意識は目の前の画面ではなく穴にあった。そのままにしておくのはなんだか気分が悪かった。スーツに袖を通しつつ、台所からボロボロの老兵さながらのまな板を持ってきて穴に蓋をした。畳の上にまな板がある図はシュールだったが、違和感があるほうが忘れずに済む。
扉を閉める時も後ろ髪を引かれる思いだったが、仕事には行かなければ。チリチリとした焦燥感を胸に部屋を後にする。そういえば、部屋の鍵はなかったがどこに行ったのだろう。まあ、今はそんなことは、二の次だ。