「人っていつ死ぬかわからないから怠惰なんだ」白いコーヒーカップをかちゃりと白いソーサーに戻す音。硬い言葉にハッとして視線を窓の外から机の向こう側へ戻す。遠くに見える子どもの動線を目で追っていたので、完全に上の空だった。そんな私を特に責めるような視線は送らずに、彼は白く縁取られた黒い液体を注視していた。その奥に、探しているものがあるかのように。
「人がいつ死ぬかを決められるのは今のところ自殺と、安楽死ぐらいね」怠惰の方はひとまずふれずに、適当に話を受け止めるが、否定も肯定もしたくないので付け加える。「まあ、わたしたちの住むこの国ではどちらも違法だけど」さも興味なさそうに窓の外へと顔をまた向ける。子どもは親の周りをくるくると回っている。時折、笑い声がここまでこだます。
「自分の命ぐらい、自分が所有しているんだからどうしたっていいじゃないか。・・・他の人のはともかく」彼は、まだ正気なのだ。「人が作った法が人の自由を縛るなんて、所有するのが自由なら破棄するのも自由であっていいはずだ」正気だからこそ、屁理屈をこねてなんとか抗って見せているのだ。わたしは左手を伸ばして、彼のコーヒーカップを静かに持ち上げ、自分の口元へ持っていく。彼の目線の先は黒い鏡から、白くつるりとしたソーサーに描かれた「喫茶ゔぃーた」のロゴが入っていることだろう。
「昔は宗教がその法の代わりだったらしいけどね」そう返して、一口啜る。ここの喫茶店のコーヒーは、黒く、熱く、苦く、まるで地獄のようだ。「友達はそのおかげで死ねなかった」「そう、それならよかったじゃない」銀色の小ぶりなカップを右手でつまみ、コーヒーの中にさっと入れる。ふわりと黒と白が歪に混ざり合い、せめぎ合い、地獄は少しマイルドになる。コーヒーカップを彼が凝視しているソーサーの上にかちゃりと返す。飲んだ時についた色が、白い丸い縁の対角線に並ぶ。
「宗教も法も人が作った。人が人のために作った。その上で、人生を全うしているのはきっと、いいことよ」屁理屈には屁理屈で返してやる。ここで答えを与えてやる必要はない、その方がきっと彼のためだ。「それじゃ、ここはわたしがもっといてあげるから。先に行くわ」透明な円筒に入っていた紙切れをとり、席を立つ。窓の外をチラリと横目で見ると、すでに親子の姿はいなくなっていた。